Jun. 09,2006 Fri    庭園班今昔
 
 5月27日午後、古美研庭園班同期のHJ、後輩のふたりのケイコさん、Aさんなど首都圏幹事団の企画により早稲田大学キャンパス・ツアーをおこなった後、神楽坂で第二回「嵐心の会」がひらかれた。
幹事団の芯はHJで、彼と後輩たちの気づかいのたまもの、あいにくの雨空にもかかわらず参加者全員の顔は晴ればれ、一回目「嵐心の会」にもまして楽しい集いとなった。
 
 出席のかなわなかった後輩Yさんに大隈講堂と宴席の写真を送ったらば、丁寧なお礼状が届き、「前回よりさらに打ちとけて、ざっくばらんな雰囲気が伝わってきます。皆さん、本当にいい笑顔です」(原文まま)と記されていたから、私たちは円満な顔をしていたようである。
身贔屓を承知でいうと、写真から飛び出してきそうな笑顔といっても過言ではなく、Yさんはそれを的確に表現されている。
(大隈講堂が背景の写真、宴席の「ざっくばらん」写真は下のバナー「庭園班OB会」)
 
 「老後一緒にお寺やお庭を見ることができる仲間が戻ってきたような気がして、とても幸せです」と心あたたまることを記された後輩Aさんは、嵐心の会に依然出席のかなわない庭園班OGすべての参加を願っておられる。
 
 次回の集いは名古屋ということに決した。名古屋のテレビ局で多忙な日々を送っているU君の便りもじんと心に響いた。
「楽しい時間はあっという間にすぎてしまうものですね。取り留めのない話の連続で、中身についてはあまり記憶にありませんが、旧来の友との語らいはそこがいいのでしょう」。気のおけない仲間や家族との語らいは、とりとめがないと昔から相場は決まっている。とりとめがないから楽しく、心がやすらぐのだ。
 
 ふだん、おいしいものを前にして笑みを浮かべる食いしん坊KY君の、おいしいものが目の前にないのに、なんともいいようのないあの笑顔、それも脳裡に焼きついている。
多くを語る必要はあるまい、数人のことばと写真を紹介するだけでもう十分、彼らのことば、彼らの存在がなつかしさそのものであり、個々の思いはそれぞれ微妙に異なっても、なつかしさの共有という部分ではほとんど異ならないように思う。再会までの33年はまたたく間に過ぎた。
 
 今回の集いにやむなく参加できなかったMK君がこんなメールを打ってきた。
「ふと思ったのですが、夏合宿を復活したらどうでしょうか。京都で同じ宿舎で。なんか、想像しただけでもわくわくしませんか」
たしかに想像するだけでワクワクする。同じ宿舎でなくともかまわない、宿が変わっても気分は最高。全員参加はムリとしても、これる者だけでよいから実現できればと思う。
原則として三泊四日くらいの日程で、コース設定は、歴代の庭園班チーフと皆が相談して決めるというのもよろしかろう。三泊は長いという人は、途中参加でも二泊でも一泊でもよい。
 
 皆が定年退職しないと実現しないことでもありましょうが、いまからそういう心づもりでいれば案外実現できるかもしれない。毎年10日間の夏休みを取れるという言いだしっぺMK君の参加は不可避です。
現況では関西在住の私とMK君の二人合宿になろうか。野郎二人では色気もないが、学生時代、祇園祭のさなか、陽炎立つ四条通りを二人とぼとぼ歩いた仲でもあるし、どうだろう‥‥ふたりじゃおもしろくない、HKや福岡のK君などと飲みたいってかい。。。さもありなん。
 
 京都の夏、日中は京都や奈良の庭と寺を拝観し、夜は冷えたビールで喉をうるおし、コオロギやマツムシの音をききながら昔ばなしにふける。想像するだけで愉しく爽快、暑さを忘れる素敵な夏の過ごし方です。

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