May 11,2006 Thu    ベナレスからの手紙
 
 毎年5月11日が来ると、思い出したくない、しかし、思い出さずにはおられない記憶がよみがえってくる。その人Mさんは昭和48年7月、インドを旅行したとき旅の仲間から鉄人28号と呼ばれたそうだ。
 
 私も同年8月中旬インドを旅した。昭和46年秋、パキスタンとアフガニスタンを旅して苛酷な自然に順応し、ヒツジの脂を使った料理で胃腸を鍛えたせいか、インド料理を涼しい顔で食し、アグラで日中の気温摂氏45度、夜間38度の暑さのなか、温風吹きつける扇風機をモノともせず熟睡し、早朝から旺盛な食欲を示した私は、仲間(主として成蹊大学の学生)から鉄人と呼ばれた。
 
 自己評価はとかく自分に甘く、他人の評価はおおむね正しいような気もする。他人といっても、それなりの経験と感性がないと評価もいいかげんなものとなるが。私は自分が描いたイメージをMさんに押しつけ、Mさんはその逆を押しつけた。心に描いたお互いへの評価は決して誤りではなかったように思うけれど、評価が自分像と異なれば、あまり気持ちのよいものではなかったろう。
あのころの私は必要であるにもかかわらず職に就くことを拒否していた。志望する新聞社から二度にわたって拒否され気分もすぐれず、くさっていた。むろん、それとこれとは別で、事情があってその人と別れねばならなかった。
 
 そんな矢先だった、Mさんがインドへ旅立ったのは。私はインドから絵はがきを送ってくれとたのんだ。手紙が届いたのは私がインドを旅したあとで、手紙を書いている最中に仲間から「タフねぇ」と一斉に声をかけられ、書き終えるはずの手紙を続けることにしたそうだ。それで一枚半が三枚になったと記されていた。
手紙の文言すべてをおぼえることは般若心経を暗記するよりたやすかった。一語一語が生き生きして、Mさんの声がはっきりきこえてきた。
 
 
 【絵はがきのよいのがないので書くのが遅くなりました。カルカッタに帰れば博物館でよいのを買えるはずですが、そうするとあたしのほうが先に帰ってしまいそうなのでこういうことになったわけです。
今日は8月の6日で、この国の人たちと自然になれてきたところです。明日から三日間ひとりになります。それからカルカッタでほかの連中とダージリンに行くことになっています。いろいろな感想がでてきてもまるっきり浮かばないというのは、カルカッタに着いて2、3時間の印象があまりに強かったせいだろうと思います。
 
 ベンガルやオデッサの人間、そしていまベナレスあたりの人たちを見て、違っているところより似ている点が目につきます。似ている点はもう日本人とも共通しているわけで、つまらない結論になるわけ。
11時を過ぎてだいぶねむくなってきました。サルナート博をみて、それからベナレス見物。船にも乗ってみたり、門前町を歩いたりで、さすがにくたびれ気味。3ページもあるのを書きはじめるといろんな本音がでてきそうだけど、からだはまったく好調子を続けています。あたしのことを鉄人28号という女の子がいます。それでよけいにからだには気をつけているのです。
 
 直射日光が強くて、顔のベタベタ塗りたくってないとダメなのがいやだけれど、空気は都会でも澄んでいるし、涼しい木陰がどこにでもあるので東京よりもしのぎやすい夏であります。ハナがむずむずしない毎日は快適です。もう言うことはないみたいだけど、ブランクのままだすのも惜しいようなめんどうなような。
こう書いていたらほかの女の子たちが「タフねえ」と一斉に声をかけたので続けることにしました。今日の昼食はベナレスの中華料理店でとりました。つめたいおいしい水があって、野菜スープは実にグーで、みんなガツガツ食べて、食後のアイスクリームに狂気して帰ってきました。
 
 カレーは手で食べるとその味がわかるということがわかったので、手がよごれてないかぎりインド式でやっています。愛する食べものはまずアイブから始まるそうです。絵はがきをだす気はおこらなかったけれど、やはり気になるので、はがきのよいのを探したり、それでも見つからなくてよけい心配になってエアログラムを買うためにうるうろしたり、今夜はこれを書いてホッとして。
大阪の放送局の結果はどうなったか知らないけれど、きっといまもフラフラしているだろうと思うと非常に不快になってしまう。思い出すだけでもぞっとする大阪弁が消えていないからだろう。それなのにこうやって書いているのも気にいらないことだ。そう思わせないように手紙でなく絵はがきを注文したんでしょう。バカな男め。あたしは心配しがいがないほど丈夫で、運も悪くないから元気はつらつ、日本の地をふたたび踏むはずです。インドで死んでもいいなあといまは思っています。アーカンベー】
 
 
 行間の随所に書こうとして書けなかったMさんの思いが末尾に至るまで散りばめられ、そのすべてを私は読み取ることができた。無性に恋しくなった。いますぐにもあいたくなった。「愛する食べものはまずアイブから始まるそうです」に秘めた暗号。そしてアーカンベーの一語に強烈な愛がこめられていた。だが、すでに矢は放たれていた。
 
 バカな男と呼ばれた本人は、まさしくその名に値した。おまけに、ただのバカ者で収まらず、Mさんと別れるためにお互いが絶対に後戻りのできない方法を選んだ。何通りかの選択肢のなかから選択するつもりなどなかった。
正しい行動が未来への扉をひらく、そうあるべきはずが、未来への扉をとざす行動をとりつづけた男は居場所を失い、激痛を抑えるために毒を盛った。それは致死量に至るに十分な猛毒だった。自らを貶め、二度とふたたびあうことのできない方法をとるよりほかに道はなかった。
 
 いればいたで、いなければいないで心配し、片時もMさんのことが頭から離れず、だからといってどうすることもできず、最愛の人を最悪に傷つけ、自分も生涯の傷を負い、そういうかたちでしか決着をつけられなかったどうしようもない愚か者。
私自身を辱めることでふたりは解放される。私が物理的に生きていくためにはそれしかほかに方法がなかった。それでMさんの新たな人生が拓けるかもしれないという思いもあった。私の行動が凶と出るか吉と出るかは結果をみないと判らない。
 
 瓢箪から駒、その後まもなく、Mさんは良き伴侶‥私より御しやすく、経済的優位に立つ人‥にめぐまれ、結果は大吉と出た。そして5月11日がくると思い出すのだ、M&F(メゾフォルテ=それは私たちの名前の頭文字である)とスーチン展の目録の裏表紙に記し、最高のアーカンベーをおくってくれたMさんのことを、スーチンの描いたグラジオラスの朱さとともに。
 

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