Apr. 22,2006 Sat    続・空白の魔力
 
 私自身の空白といえば、いたずらに時を過ごしてきたために生じた無為の空間とでもいうべき何かであって、ことさら叙述するようなものではない。私はみなが適応する社会生活に適応できない反面、孤独には適応できると思っていた。しかし私は両方に適応できなかった。しかも、人から使われることも、人を使うことも億劫だった。
 
 その結果といってよいかどうか判然としないが、私は人の役に立つことで自分を生かすようになった。十数年にわたり、特に生活に余裕のあるわけでもないのに、身のほどもわきまえず、これはと思う人に経済的援助もふくめ援助をさせてもらった。それは人生観というよりむしろ、ある種の宗教的信条に起因する行為であったように思う。
 
 そういう生き方を敷衍、もしくは煎じづめると、私はもはや自分のためではなく、自分以外の人のために生きていることになる。しかし、私は他人のために生きることはできない。同時に、私は他人のためにしか生きていない。
 
 私は人の言うことに耳をそばだて、その人に話しかけ、希望しているであろうことについて考え、調べ、準備する。そうした行為はすべて私自身に関係することである。心を砕いたりハラハラしたり、喜んだり落胆したりの繰り返しが多いような気もするが、それも私自身から発せられる。畢竟私は、だれでもそうかもしれないが、自分に関係のあることにしか関心をもたないということなのだろう。
 
 「身のほどをわきまえず」と記したのは理由のないことではない。私は深く考えもせず、やむにやまれずという気持ちだった。放っておくことはできなかった。あたりまえのことをしただけで、相手からの感謝はどうでもよく、ただ役に立ってもらえればよかった。
 
 迂闊であったのは、私がお世話した人すべてが、私のしたことに対して感謝するかわりに、しなかったことに対して不満をもつに至ったことである。最初からそれを予測できなかった自分が迂闊であり、身のほどをわきまえていなかったのだ。
 
 大別すると人は四通りに分かれる。自分自身を解放する人、閉じこもる人、双方を交互に繰り返す人、閉じこもることも解放することもない人。そういう分類は大雑把にすぎようけれど、私は三番目の人間であると思っており、そうであるなら、閉じこもっているとき他人の役に立つことなどできようか。
 
 空白のなかに散乱した記憶の断片をかきあつめ、元どおりにかたちを復元できたとしても、ひびをどうできよう。だが、こういうことを書いていると、忘却の彼方に消えてしまったはずの記憶がふとよみがえってくることもある。
 
 昭和45年だったか、古美研が発行した文集に、「十三里」と題して小文を掲載してもらったことがある。どなたが原稿依頼してきたか忘れてしまった。十三里などと妙なタイトルで、お読みになった方は何のことかわからなかったと思う。内容は、文学部国文学科に在籍していた女性(庭園班OGのKMさん)とMさんのことを念頭において書いた。タイトルと内容は乖離しており、三者を綯い交ぜにしたのだ。
 
 いまとなっては何を書いたか漠然としか憶えていないのに、文集に掲載された或る女性の文章だけはよく憶えている。その人は、福岡の祖母の死に直面したときのようすを克明に記していた。「祖母の肌はつややかでみずみずしく、弾力性があった。」という箇所が印象的だった。
 
 あれはだれであったか、ものを書くということは、自己の妄執に秩序を与えることである、といったのは。秩序と簡単にいうが、じっさいは書いても書いても思うところがうまく書けず、累々たる推敲の山である。ただ、考えているだけでは埒のあかないことでも、書くことで何かが見えてくるかもしれないと思いつつ書いた。だれのためでもない、自分のために。
 
 何人かの方たちが拙文を読み、ある先輩からは、「瞠目に値するすごい文章だ、お前を見直したゾ」と過分のお褒めの言葉を頂戴した。私のことを、ただのわがままな後輩とみなしていたのであろう。その見方は決してまちがいではない。
私が一番ドキッとしたのは、庭園班OGのSKさんの言葉であった。いま思っても不思議というほかないが、SKさんはなぜかだれのことを書いたかわかっていた。たったひとこと、「あんなこと書くから、M子(前出のKMさん)がおかしくなったじゃない」と頬をふくらませた。
 
 SKさんは真剣に怒っていた。それがSKさんとの最後の会話だったように思う。二年後、図書館前で偶然SKさんにあったが、お互い軽く会釈を交わすだけで反対方向に別れた。SKさんは成熟したおとなの女になっていた。あのとき着ていたミディアム・グレーのスーツの色と形があざやかによみがえってくる。
 
 SKさんの指摘は半分当たっていた。「十三里」のなかに書いたのはしかし、ほかのだれよりも私自身のことである。SKさんの剣幕に気圧されて私は、言い訳は一切しなかった。読みが浅いと思うよ、行間を読んでください、そう言うべきであったのかもしれない。だが口に出せない言葉も存在する。そしてそのほとんどは、存在するのに存在しなかったとみなされる。
 
 私は空白の魔力に魅入られて、機も熟していないのに飛び出してしまった。予期せぬ飛び出しは気分のよいものではない。しかし昨秋、はっきりわかったのだ、特定の女性に対する思いより特定の男たちへの思いのほうが遙かに熱いことを。
自分なりの望みを成し遂げた後あいたかった。望みを遂げぬままあったのは、あいたいという気持ちが勝ったからだ。
 
 私はフライングしたけれど、仕切り直しできると思っている。学生っぽく語るなら、本質的で重要なものとは、熱い思いを抱いている人に毎日のように学館で顔を合わせておきながら、言葉にしようとして言葉にできなかったすべての言葉である。

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