Dec. 07,2018 Fri    きみ知るや古都の日々(4)
 
 墨を流したような暗闇と水を打ったような静寂が町から消えた。人間の心の闇が年々増え、そうした闇があっても、ふつうの人間との差違を見分けるのは困難であるし、百鬼夜行どころか白昼も歩く。町を往く人々の多くはスマートフォンを見ながら歩き、たちどまっては往来の邪魔をする。古都は外国人観光客であふれ、同胞はかたすみによせられている。
1970年代、ヨーロッパの古都で邦人ツアー客を目にすることはあったが、欧米系の旅行者に較べ比率は低く、地元住民をすみに追いやることはほとんどなかった。農協主催と思えるツアー客の一部にマナーのよくない輩はいたけれど。
 
 長年つづけているのは河川敷数キロの散歩。マガモ、マガン、ハクチョウなど渡り鳥の入れ替わりは季節の変化に沿い、野鳥は目にもとまらぬ早さで昆虫を捕獲し、わがもの顔のカラスは野鳥を妨害し、排泄物を放置する飼い主のイヌと同じようにふるまう。放たれるのが地上か上空かの違いはあっても。カラスが真上を飛ぶときは注視せねばならない。落下物をよけるのも散歩である。
 
 英国コッツウォルズのフットパスでは農場主が酪農地を開放している。ヒツジと歩行者が同じ土地を分けあう。地元住民はヒツジの糞を気にしていない。日常と同化しているようにみえる。
踏んでも平気なのは、それ用の靴をはいてフットパスを歩くからだとマナーハウス(宿)の従業員が言っていた。横から別の従業員が、なに、靴はどうあれ、踏んで気にするのは旅行者だと言う。
 
 シジュウカラやヒバリのように穏やかな鳥はさわやかに鳴き、つかのまの安らぎをもたらす。歩きはじめの雲はまばらでも、みるみるうちに空一面を覆い、雨の気配を感じて数十秒前に飛び去っていった鳥たちは、どこに身をよせているのだろう。あとに残された木々は雨の音を聴き、川の流れが響く。
 
 河川敷の散歩が日常になると次の転居先も同じような場所を選んでしまう。いまの住居の横にある河川敷に大木はほとんど見当たらないが、河川敷の上の道路沿いにある木々でも十分、野鳥もやって来る。最適と思わないけれど、最寄りの駅やデパートへ徒歩5分というロケーションに不満はない。
 
 それほど慣れ親しんでいても心奥にとどくのは別の場所だ。不満のない場所と心の風景である場所はかならずしも同じではない。いまもなお追想するのは60年前、小学校低学年の夏休みをすごした奈良県吉野であり、祖父の畑とニワトリ小屋であり、50年前、ひとり歩いた奈良の古道、43年前から伴侶と共に歩き続けた京都の小道なのだ。ベンチにすわり、同じ方向をながめ、黙りこむのも同じ時という友は伴侶だけ。
そこでみた、ちぎれ雲からあらわれる皓々たる月の雄弁にまさるものは百万代言尽くしても見いだしえないだろう。月の光かがやく夜、美女の射る矢をうけてみよ。心の闇に命中したことを感謝する日がやってくる。
 
 静けさに音があると知ったのはおそらく6才前後である。みなが寝静まっている冬の深夜、しんしんしんという音で目をさます。ふとんの外は寒くなっている。雪の降るのを感じると、夜はいっそう静かになる。つもればいいなと思いながらまた眠りに落ちる。
 
都会から静寂は消えたが、雨の音が騒音を緩和する。だが水たまりをはねるタイヤの音が静寂をこわす。
都会の孤独などと陳腐なことをいう人に対して思うのは、なにを甘っちょろいことを、静寂を破るような孤独なら、とことん孤独になりなさい、隣人は神世の昔から他人ではないか、さみしさとかなしさが出会うとき、どちらが胸にせまるか天秤にかけてはかってみてはどうか。こたえが出ないとわかれば、たわごとを言わずにすむかもしれない。落葉になってもどこか美しく、風に吹かれてどこへでも行くという生き方をめざせば、孤独はなつかしく、清々しくさえあるだろう。
 
 
 彼は4年間、京都御所の北にある大学に通った。京都を愛し、酒を愛し、ハイキングを愛し、山河を愛した。すこしわがままなところもあったらしいが、男気があり、礼儀正しく、ユーモアに満ち、友を大切にした。
彼が第10回小磯良平大賞(2013)の佳作4名のひとりに選ばれたとき、伴侶は自分のことのようによろこんだ。伴侶の気持ちを彼は見事に受けとめていた。神戸ポートピア博時代の仲間から唐津焼展示即売会の案内状が伴侶に届いたとき、自分の知り合いでもない主催者の女性から高価な湯飲みを買った。「ちょうどこんな湯飲み探していた」と言って。
 
 学生時代とその後2年、そういう感性をもつ女性との出会いと別れがあった。それから9年後、伴侶が最後の人だと思ったけれど、同質の感性をもつ人間があらわれた。2010年、伴侶の中学生時代の同窓会がひらかれたとき、はずせない先約があって彼は出席できなかった。2012年、二回目の同窓会があり、30数年ぶりに再会する。
 
中学3年の同じクラスで1年間、顔を合わせていたのに言葉を交わしたことはなく、伴侶と同窓の女性が彼の還暦祝に招待され、以来、「ハイキングクラブやまなみ」主催のハイキングへ伴侶と同窓生が参加するようになった。
「komori旅の部屋」=「散策&拝観」の「琵琶湖疏水の桜」はハイキングの一つを伴侶が撮影した写真である。
 
 その人OT君と会ったことはない。だが、同窓会やハイキングの写真と伴侶の話で、同じ感性の持ち主であることを知っている。一杯目より三杯目のほうが美味という酒があるとすれば彼である。
小学校の裏門を出てすぐ、門を背にして腰をおろす誠実な画家がいるとすれば彼である。帰りをいそぐ生徒が足をとめ、声をかけたくなる人間であり、記憶に残そうと思わなくても残る人間なのだ。将来にわたって私たちの会話に登場するだろう。
 
 感性のゆたかな人間がすぐれているというような話をしているのではない、相手の感性が自分の感性とよく似ていることを直感でみぬき、言わず語らず同調同化する感性の得がたさについて話している。感性の一致する人間はいわば分身。魂を分け持つ同志なのだ。
 
 2012年の同窓会は大阪市内の日本料理店でおこなわれた。ビールで乾杯したあと、赤ワインの入ったグラスを手にして満面の笑みをうかべる彼の写真をみた。つくらない笑顔はこんなにも多くのものを伝えるのか。やさしさ、茶目っ気など、総じて人柄が写真に出ていた。
それは2007年、名古屋の料理屋で庭園班OB会が開催されたとき、社では見せることのないHKの笑顔と同じ種類の顔である(庭園班OB会」=「第三回嵐心の会」宴席5)。満面という意味ではHKより勝っている。「第一回嵐心の会」時に較べるとHKが若返っていることもわかる。
 
 6年前から他者のブログを一切みなくなった私が唯一たのしみにしていたのは彼のブログだ。定期的に月数回おこなっていたハイキングの写真をアップし、短い文章を添える。日帰りもあれば数泊の登山もあり、登山は東北から信州、ハイキングは関西一円。日帰りの場合は夕方から酒ということになり、酒をおいしく呑むために歩いているのではないかと思うことも度々。
 
 同窓会とは別の集まりで、中学時代伴侶と仲のよかった女性が、「ところで、OT君はどこの中学やった?」と言った。唖然としても、爆笑するのは言った人にも言われた人にもわるい気がして、居合わせた者は知らんぷりしたらしい。
帰宅した伴侶が話してくれ、大笑いしたものである。「どこの中学やった?」とたずねた女性は高校も彼と同じだったのだ。その模様を彼もブログに書いていた。「おもしろかったもんね」と。
 
 重篤な病を患い、伴侶が最後に会ったのは、アーモンドの花咲く今年3月中旬、満開の花の下だった。5月28日の大阪泉南にある雨山が最後のハイキングとなった。6月11日、小学校同窓会に出席し、その写真に小学生時代の写真を7枚添えてアップし、ブログは終わっている。帰るのは子どものころなのだ。花の下で「十分生きたから」と語ったという。
 
 新月の夜に暗がりを照らしていた木星は2018年晩秋、星になってしまった。きょう(2018年12月7日)はがきが届いた。惜しいとか残念とかではない、ひたすら、かなしかった。ふたりで涙ぐんでいたのを、先に行って見晴らしのいい特等席を用意して待ってくれていると伴侶が言ったので涙があふれた。
伴侶が夕刻、郵便受けから取り出した喪中はがきをみて、書きはじめに書こうとした内容と異なってしまった。書かずにはいられなかった。
 
                     (未完)
 
 常寂光寺からながめた初冬の比叡山です


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