Dec. 10,2018 Mon    花ざかり
 
 相手を慮って言いたいことを言わないのは思慮のうちとして、存外に口から飛び出たことばをいかにせむ。人生にミステリー、謎はあり、ドラマの登場人物のなかに忘れがたい人もいる。
思い出に生きているわけのものではない。昔から使っているものを大事にするのが思い出に生きるということなら確かにそうである。断捨離を自らに課しても捨てられないものはある、独身時代、伴侶からもらったグレーの皮手袋のように。
 
 過日、京都のとあるホテル17Fのバーで、共通の話題はすくなくないはずのKY君が、おそらく水を向けるために、「ミサコさんという方がいらっしゃったと思うのですが、私が1年の春ごろまでいらしゃいました。来られなくなったのはどうしてですか?」とたずねた。いつかどこかで何度も話題にのぼったとおり、いらっしゃいました。
 
 あのころ彫刻班にいた1年先輩M氏は古美研の文集を編んでいて、各人に投稿を呼びかけた。その前年秋、野球大会を開催し火中の人となっていた新入生HHと小生に対しては特に要求された。古美研はじまって以来の野球大会を開いたのだから書けるだろう、とさ。
 
 投稿文名は「十三里」。先輩から「おまえ、すごいな」と絶賛された一文は数名の人間を1名にまとめた架空の内容だったのだが、庭園班同期SKさんの逆鱗にふれた。初夏が終わり、積乱雲が夏を告げようとしたある日、「話があるからつきあって」と詰め寄られた。
フェイス・トゥー・フェイス30センチになると、当時19歳か20歳の美女のかぐわしい匂いがただよい、テニス焼けした小麦色のきれいな肌に小さなニキビが2つあることまでわかった。
 
 それが顔に出たのだろう、なんと不謹慎なという感じで小生を睨んだ。「あんなこと書いたから来なくなったのよ、ミサコ」。ちょっと待って、KMさんがそのなかに入っていても、特定されるのはいやだから、そうならないような書き方をした。
高校時代の友、Mさん、KMさん、前年福井県若狭湾でキャンプしたSYさん(弟から付き添い依頼された高1男3名女3名のひとり=伴侶)、だれよりも私自身。
 
 30センチは危ない距離だ。都内有数の名門女子学園出身、育ちのよさが容姿にあらわれているSKさんでも親友に関する心外にテンションが高くなっていたせいか、意にも介さない。「文中の人は複数だよ」と言っても聞く耳なし。
 
 「十三里」に記した「文学をやっていく」可能性のある人が、SKさんにはミサコさんだけのように思えたのだ。小生がKMさんに対して感じた「ニヒリズム」にSKさんもそうした一面がミサコさんにあると思っていたのかもしれない。
伝家の宝刀を抜くしかない。「ボヴァリーは私だ」と告げたが、SKさんは一言「ウソ」と否定した。強い口調だった。
 
 そういう出来事があって40年近くたったある日、法隆寺境内で「初デートでKMさんと深大寺に行ったとき、赤は欲求不満の色だと言った」と語った男がいる。ふだん煮え切らない男が煮つまりすぎたのである。
「赤ってどういうこと」と聞いたらば、彼女のコートの色なのだ。時期的に半コートかジャケットのような気もするが、色は赤。KMさんが来なくなった謎が解けた。心を寄せている異性に「欲求不満は私だ」とは言えなかった。自分が赤いマフラーを巻いて「赤は欲求不満の色」と言えばよかったのだ。
 
 12月8日たまたま隣にすわったKT君に学生時代の庭園班合宿での卓囲みのことを話した。同志社大学の横、京都御所の前を走る烏丸通の丸太町よりにあるパレスサイド(ホテル)ロビーで後輩3人と待ちあわせて、同志社の近くの四卓荘でレンガ積み。合宿に参加せず卓のみ参加したのは不心得者の小生だけ。
するとKT君曰く、「しましたよ、われわれも、知多詰近くの卓山荘で。メンバーはUさん(当時のチーフ)、MKさん(法隆寺七大弟子)、KYさん(OB会常任幹事)でした」。
 
 えっ?。ときもところもおおむね同じでしょう。同年夏の京都合宿、日にちが一日か二日づれているだけではないか。チーフのU君は後輩を連れ回すのに忙しく、時間はないはずなのに。
話はそれだけで終わらなかった。そんなことありえないと思っていたU君が、酒をかっくらって意気上り、KY君の女性問題にふれた。なに、女性問題といってもたいしたことはなく、自分のことをしゃべりたいので関連づけただけで、その女性NHさんは庭園班と乗馬クラブの両方に入会していた。
 
 U君の親戚だったかだれかが乗馬クラブの関係者で、NHさんと後年会ったことがあり、うちの弟(従弟?)がこうこうでと花咲なんやらになった。「上品できれいな人だったねえNHさんは。さすがKYの相手だ」と言う。隣にいたKY君が、「いや、そういう間柄ではなく」と言いかけたのを制止し、「いやいや、そういう間柄だよ。乗馬かぁ、さすがだ。乗馬はいいね、私もねぇ‥」と言った。
U君の真ん前にいたKT君がそこで口を開く。「Uさんは乗馬とちがうじゃないですか、競馬ですよ。合宿中に場外馬券場(祇園・建仁寺そば)へ行って馬券を買っていましたよ」。U君、すっかりできあがっているのでKT君の言が耳に入るようすはなく、そのあともしゃべりつづけた。
 
 その日の幹事代行KY君、宴席での大受けとは対照的にホテルのバーですっかりお株を奪われた。数日後、OB会に欠席したMK君に報告がてら電話しU君の話をした。MK君曰く、「Uは酔っぱらってなくてもあんなもんじゃ」。
 
 学生時代、MK君、MY君ほかとラーメン屋「メルシ」の近くで角卓を囲んだとき、A君は5人目なので卓に入らず、それでも帰宅せず横にすわって見ていた。MK君が「アベちゃん、見てるだけじゃ退屈するけん、帰ってもらってええよ」と言うと、「帰りたくもないし、見ている」とこたえる。
 
 小生はなぜかA君の顔の見える位置にいることが多く、庭園班ハンサム男で鳴らしたA君の見学顔はすばらしかった。何がすばらしいかといえば、だれかの牌をA君が見ているとき、その人の手がよければそういう顔になり、わるければ深刻そうな顔をし、高い手になったり絶好の牌をひくと目の色が変わり、ヘタなきりかたをすれば「えっ」という顔になるのである。
いつだったか、伴侶にその話をしたら、「Aさん、かわいい」と言った。帰宅もせずじっと見るA君のすがたが目に浮かぶらしい。A君はこれを読んでいないから色々書ける。読んでいたらタイヘン。
 
 ある日のこと、夜に待ちあわせしていて、勝ち逃げはよくないと思いつつ、「A君、わるいけど代わってくれないか」と言うと、「ええ、いいですよ」と言い、「いまのところ井上さんの一人勝ちなので、終わった段階で勝っていれば、もらってもいいですか?」と続ける。
もちろんです。A君が大負けしても払います。で、結果がどうなったのかおぼえていない。MK君が大三元をあがって大逆転したのはその日ではなかったと思う。
 
 30数年ぶりに再会、嵐山での宴席時、A君の大変貌にはびっくりした。どさ回り(支店を転々、おおぜいの中年女性を使う)で鍛えたのか、趣味と実技をかねたゲートボール話を30分やり、同席のほとんどは笑い転げた。MK君だけが「ええかげんにせい」という面持ちであったのは、A君の変化を知っていたからだ。
OB会を大盛況に導き、14回連続のきっかけをつくったA君は大功労者である(「書き句け庫」2006年1月1日「初笑い」)。出席を渋っていたA君に、「井上さんが幹事じゃけん、出席しなかったら承知せんぞ」(A君が電話で小生に伝えてくれた)と脅したMK君の功績も大きい。
 
 
 
       2018年12月8日 とある料理屋 夜の小庭


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