Dec. 10,2018 Mon    花ざかり
 
 金品の誘惑に強い小生がいまだ愛用しているのは、「第一回嵐心の会」の開催地京都嵐山でHJが出席者全員に贈った「WASEDA UNI」のストラップ、そしてそのときの幹事(小生)だけがもらえたワセダレッドの丈夫なトートバッグである。小生以上によろこんだのは伴侶だ。
だれにでも贈呈されるご来場記念とちがい、貴重な記念品をHJから授与されたことをよろこんでいた。そういうかたちでの贈りものはそうそうあるものではなく、HJの心遣いに感謝した。
 
 伴侶の友の訃報をOB会のはじまる前、会場で早めに落ち合ったHKに言ったせいかどうか、恒例の近況報告でHKは、「浪人時代、かわいい女人を見つけ、その人を追いかけ鴨川べりを歩きました」云々と言い、「ストーカーだ」と男数名のヤジの飛び交うなか皆を笑わせたあと、「京都奈良へ来るのはIに会うためというより魅力的な奥さんに会うためです」と言った。
 
 同席した人は冗談を言っていると思ったろう。が、いつごろからかHK、小生の伴侶は?と言いだした。会うときは一緒にということだ。気配りと素直が同時に口から飛び出すのはHKの長所。伴侶は絵から飛び出したような癒やし系。伴侶も加わるほうが癒やされるからだろう。そこをつかれると痛い。小生は非癒やし系です。
扇千景が、坂田藤十郎は食卓テーブルに女性がいると食欲もわくと言っている。扇千景以外の女性がという意味である。
 
 相手を慮って言いたいことを言わないのは思慮のうちとして、存外に口から飛び出たことばをいかにせむ。なにを言いたいかは後でわかる。人生にミステリー、謎はあり、登場人物のなかに忘れがたい人もいる。
思い出に生きているわけのものではない。昔から使っているものを大事にするのが思い出に生きるということなら確かにそうである。断捨離を自らに課しても捨てられないものはある、独身時代、伴侶からもらったグレーの皮手袋のように。
 
 過日、京都のとあるホテル17Fのバーで、共通の話題はすくなくないはずのKY君が、おそらく水を向けるために、「ミサコさんという方がいらっしゃったと思うのですが、私が1年の春ごろまでいらしゃいました。来られなくなったのはどうしてですか?」とたずねた。いつかどこかで何度も話題にのぼったとおり、いらしゃいましたとも(いらしゃいました=公家ことば)。
 
 あのころ彫刻班にいた1年先輩M氏は古美研の文集を編んでいて、各人に投稿を呼びかけた。その前年秋、野球大会を開催し火中の人となっていた新入生HHと小生に対しては特に要求された。古美研はじまって以来の野球大会を開いたのだから書けるだろう、とさ。
 
 投稿文名は「十三里」。先輩から「おまえ、すごいな」と絶賛された一文は数名の人間を1名にまとめた架空の内容だったのだが、庭園班同期SKさんの逆鱗にふれた。初夏が終わり、積乱雲が夏を告げようとしたある日、「話があるからつきあって」と詰め寄られた。
フェイス・トゥー・フェイス30センチになると、当時19歳か20歳の美女のかぐわしい匂いがただよい、テニス焼けした小麦色のきれいな肌に小さなニキビが2つあることまでわかった。
 
 それが顔に出たのだろう、なんと不謹慎なという感じて小生を睨んだ。「あんなこと書いたから来なくなったのよ、ミサコ」。ちょっと待って、KMさんがそのなかに入っていても、特定されるのはいやだから、そうならないような書き方をした。
高校時代の友、Mさん(ワセダ自宅間13里)、KMさん、前年福井県若狭湾でキャンプしたSYさん(弟に付き添い依頼された高1男女6名のひとり=伴侶)、だれよりも私自身。
 
 30センチは危ない距離だ。都内有数の名門女子学園出身、育ちのよさが容姿にあらわれているSKさんでも親友に関する心外にテンションが高くなっていたせいか、意にも介さない。
「文中の人は複数だよ」と言っても聞く耳なし。「十三里」に記した「文学をやっていく」可能性のある人が、SKさんにはミサコさんだけのように思えたのだ。小生がKMさんに対して感じた「ニヒリズム」にSKさんもそうした一面がミサコさんにあると思っていたのかもしれない。伝家の宝刀を抜くしかないと思い、「ボヴァリーは私だ」と告げたが、SKさんは一言「ウソ」と否定した。強い口調だった。
 
 そういう出来事があって40年近くたったある日、法隆寺境内で「初デートでKMさんと深大寺に行ったとき、赤は欲求不満の色だと言った」と語った人がいる。「赤ってどういうこと」と聞いたらば、彼女のコートの色なのだ。時期的に半コートかジャケットのような気もするが、色は赤。それで謎が解けた。
迷宮入りの事件は解明された。彼ならミステリードラマの主人公たるにふさわしい。茶化しているのではない、昔は寡黙で容姿もすぐれていた。そうした類のことばをはく人間でないのはだれもが知っている。しかし、心を寄せている異性に「欲求不満は私だ」とは言えなかった。SKさんもKMさんも遠い世界の人だったけれど、過去が私たちを近づける。
 
 12月8日たまたま隣にすわったKT君に学生時代の庭園班合宿での卓囲みのことを話した。同志社大学の横、京都御所の前を走る烏丸通の丸太町よりにあるパレスサイド(ホテル)ロビーで後輩3人と待ちあわせて、同志社の近くの四卓荘でレンガ積み。合宿に参加せず卓のみ参加したのは不心得者の小生だけ。
するとKT君曰く、「しましたよ、われわれも、知多詰近くの卓山荘で。メンバーはUさん(当時のチーフ)、MKさん(法隆寺七大弟子)、KYさん(OB会常任幹事)でした」。
 
 えっ?。ときもところもおおむね同じでしょう。同年夏の京都合宿、日にちが一日か二日づれているだけではないか。後輩を連れ回すのに忙しく、時間はないはずなのに。聞かなきゃよかった。いや、聞いてよかった。
話はそれだけで終わらなかった。そんなことありえないと思っていたU君が、酒をかっくらって意気上り、KY君の女性問題にふれた。なに、女性問題といってもたいしたことはなく、自分のことをしゃべりたいので関連づけただけで、その女性NHさんは庭園班と乗馬クラブの両方に入会していた。
 
 U君の兄弟だったか親戚だったかのだれかが乗馬クラブの関係者で、NHさんと後年会ったことがあり、うちの弟(従弟?)がこうこうでと花咲なんやらになった。「上品できれいな人だったねえNHさんは。さすがKYの相手だ」と言う。隣にいたKY君が、「いや、そういう間柄ではなく」と言いかけたのを制止し、「いやいや、そういう間柄だよ。乗馬かぁ、さすがだ。乗馬はいいね、私もねぇ‥」と言った。
U君の真ん前にいたKT君がそこで口を開く。「Uさんは乗馬とちがうじゃないですか、競馬ですよ。合宿中に場外馬券場(祇園・建仁寺そば)へ行って馬券を買っていましたよ」。
 
 U君、すっかりできあがっているのでKT君の言が耳に入ったようすもなく、そのあともしばらくしゃべりつづけた。ものすごい得をした気分だった。知らなかった、U君が四国のMK君と同じくらいおもしろく愉しい人であることを。彼の出世は不思議でもなんでもない。若いころの現奥方が、真面目さだけでU君についていったのではないこともわかった。
 
 その日の幹事代行KY君、宴席での大受けとは対照的に、ホテルのバーですっかりお株を奪われた。五大老と呼ばれる世代は、5人全員が芸人としても食べていける。OB会は、酔っぱらったU君が言うように将来にわたって続くのだろう。
ありがとう、KT君。と書いていたら、MK君の声が聞こえてきた。「Uは酔っぱらってなくてもあんなもんじゃ」。どんなもの、人の言うことは聞いていないってこと?
 
 今回の幹事KM君は昨年末から今春、二度にわたって京都の日本料理屋で試食し、あれこれの企画を立て、人にはできない配慮に心をくだいた。予期せぬ事情で上洛はかなわず、ご本人がいちばん心残りであるだろう。でもだいじょうぶ、奥方がしっかり使命を果たした。
幹事代行KY君はこの4年間、出席できなかったA君、MK君などの分まで補っているように見える。結局、代打ちにも真打ちにも同等の才が五大老にあるということだ、持ち味は別々であっても。
 
 学生時代、MK君、MY君ほかと「メルシ」の近くで角卓を囲んだとき、A君は5人目なので卓に入らず、それでも帰宅せず横にすわって見ていた。MK君が「アベちゃん、見てるだけじゃ退屈するけん、帰ってもらってええよ」と言うと、「帰りたくもないし、見ている」とこたえる。
 
 小生はなぜかA君の顔の見える位置にいることが多く、庭園班ハンサム男で鳴らしたA君の見学顔はすばらしかった。何がすばらしいかといえば、だれかの牌をA君が見ているとき、その人の手がよければそういう顔になり、わるければ深刻そうな顔をし、高い手になったり絶好の牌をひくと目の色が変わり、ヘタなきりかたをすれば「えっ」という顔になるのである。
いつだったか、伴侶にその話をしたら、「Aさん、かわいい」と言った。帰宅もせずじっと見るA君のすがたが目に浮かぶらしい。A君はこれを読んでいないから色々書ける。読んでいたらタイヘン。
 
 ある日のこと、夜に待ちあわせしていて、勝ち逃げはよくないと思いつつ、「A君、わるいけど代わってくれないか」と言うと、「ええ、いいですよ」と言い、「いまのところIさんの一人勝ちなので、終わった段階で勝っていれば、もらってもいいですか?」と続ける。
もちろんです。A君が大負けしても払います。で、結果がどうなったのかおぼえていない。MK君が大三元をあがって大逆転したのはその日ではなかったと思う。
 
 30数年ぶりに再会、嵐山での宴席時、A君の大変貌にはびっくりした。どさ回り(支店を転々、おおぜいの中年女性を使う)で鍛えたのか、趣味と実技をかねたゲートボール話を30分やり、同席のほとんどは笑い転げた。MK君だけが「ええかげんにせい」という面持ちであったのは、A君の変化を知っていたからだ。
OB会を大盛況に導き、14回連続のきっかけをつくったA君は大功労者である。出席を渋っていたA君に、「Iさんが幹事じゃけん、出席しなかったら承知せんぞ」と脅したMK君の功績も大きい。
 
 心残りも二、三あるから、きょうあすは早いとしていずれということなのだが、OB会に関して心残りはない。いつかまた会えるときがあれば。
 
 
 
       2018年12月8日 とある料理屋 夜の小庭


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