Oct. 13,2018 Sat    マルセルのお城(1)

 
 映画は大きなスクリーンでみなければ。またしても、つくづくそう思った。50インチやそこらのテレビでみるのに較べると迫力が違う。俳優、音楽、背景などから受ける感動が違う。大阪の小さな映画館で10月6〜12日、13時と17時の2回「マルセルのお城」が上映され10月11日みにいった。
 
 映画館は私たち二人のほかに数名しかおらず、この人たちも映画館かテレビかはわからないけれど以前にみたことがあるのではないか、あるいは、誰かに聞いたか、新聞の映画評を読み来館したのではないだろうか。
「マルセルのお城」が日本で一般公開されたのは1990年ごろだったか、私たちがみたのは、どこかで述べたように1992年か1993年だ。子どものころ、マルセルは山間の小さな家に寝泊まりしながら自然のすばらしさに気づき、友を持つことの得がたさを知る。
 
 生涯で最もかがやいているのは、よほどの事情で辛酸をなめた人間は別として、いや、そういう辛い経験があったとしても少年時代の日々であるだろう。年老いればだれにでもわかることだ。自然とともに過ごす一日が人生をどれほど深めるか、「マルセルのお城」はそれを如実に描いている。
 
 マルセル役ジュリアン・シアマーカもリリ役ジョリ・モリナスも映画出演は「マルセルの夏」&「マルセルのお城」の2本のみである。ジョリ・モリナスは現地オーバーニュ出身。映画経験は初めてで、2作品を監督した名匠イヴ・ロベール(1920−2002)が白羽の矢を立て出演した。ジュリアン・シアマーカはオーディション4千人のなかから選ばれた金の卵だ。
資料によると、マルセイユの小学校教師らの協力を得て無数とも思える写真を見、一次テストの後、ロベールはドビュッシーの曲を歌わせたという。むろんドビュッシーはフランスの作曲家であり、1918年55歳で没しているからマルセル一家が過ごした時代(19世紀末〜20世紀初頭)とも符号する。
 
 子役に最も大事なのは音感、次に模倣の才、想像力であるとロベールは述べている。幸いだったのは、ジュリアン・シアマーカが「マルセルのお城」の著者マルセル・パニョル(1895−1974 生家はオーバーニュ)のファンであり、「マルセルの夏」(原題「少年時代の思い出」)を読んでいたことだ。ロケ当時11〜12歳の感性豊かな少年が本を読み想像力をふくらませる。飛びきりの美少年はマルセルをやるべくして発見された。
 
 マルセル・パニョル原作の映画「愛と宿命の泉」(仏 1986)もすばらしかった。当時駆け出しの女優エマニュエル・ベアールの存在感を示した出世作(セザール賞助演女優賞)であり、名優ダニエル・オートゥイユにとっても出世作(セザール賞主演男優賞)となった。名優イヴ・モンタンも主要な老人役で出演している。
リリが、泉の場所はいくつもあり、それぞれ発見者が秘密にしていて、家族にさえ教えないとマルセルに言っているのは、「愛と宿命の泉」の焼き直しだ。イヴ・モンタンはそうした頑固旧弊な老人を見事にやった。
 
 「マルセルのお城」で父親の話としてリリは言う。「わしらに休暇なんかないぞ。はたらいていないのだから。」。「毎日が日曜日」はなんと陳腐なことばであることか。
リリの父に定職はなく、休日を利用してマルセイユからオーバーニュやベロン村へやって来る人たちと荷物を農作業用の馬車に乗せて目的地へ運び、日銭を稼いでいる。リリは野鳥を罠に仕掛けたり、ガルラバン山塊(上の写真)のふもとでハーブを摘んだりして父親の手助けをしている。自然児のリリ、往時の都会っ子にありがちな不健康とか神経質のかけらもみせないマルセル。
 
 外国映画に出てくる美少年、美青年はどこか弱々しく、翳りがある。、そういうイメージをつくりあげたのは19世紀ロマン主義で、その名残といえばきこえはいい。が、弊害でもある。健康美がスポーツ万能、健康優良児というイメージは、二度の世界大戦をへて極度の食糧不足を経験し、餓死者をみた人々の理想像であるのだろう。
マルセルは美少年で都会っ子である。が、昔のイタリア映画や、旧態依然として出来のわるい外国映画に登場する美少年でも太めの健康優良児でもない。
 
 マルセルの父は小学校の教師。20世紀以降、学校教師の多くは世間知らず。マルセルの父は苦労人、融通はきかないが世間を知っている。家族思いの真面目で善良な市民。上級学校は出ておらず、口に出さない劣等意識を持っている。人物の陰影を際立たせる設定である。母オーギュスティーヌは、父と対照的で魅力にあふれたかわいい人。
 
 マルセルは母オーギュスティーヌの話をわくわくしながら聞いている。目がかがやいている。オーギュスティーヌは身体が丈夫ではない。しかし常に堂々として、頭が良く、社交的である。グチ、泣きごとは口にしない。枯れ野にパッと白いすみれが咲いたような女性だ。そういう母親でも不安がることはある。そういうところの描写がうまい。どきどきする。
 
 小学校に通っていたころの夏休み、2年つづけて奈良県吉野の奥で過ごした。年の離れた従姉が営林署関連の仕事をしていた男と結婚し、吉野川支流のすぐ前にある農家の2階を借りていた。階下の一部は土間で台所、かまどがあり、料理はそこを使って作っていた。従姉の料理は味もよく手早かった。
深い森に囲まれた川は美しく、森は昆虫の宝庫だった。毎朝、川で泳いだ。過疎の村なので子どもは少なく、テレビもなく、情報はラジオと、ときおりやって来る薬売り、下市から日用雑貨を届ける店員経由で仕入れていた。
 
 吉野の夜は真っ黒なマントが空から降りてきて頭をすっぽりおおう漆黒の闇だ。実家はJRの主要駅へ徒歩8分の距離にあり、数十メートルおきにほの暗い街灯があった。吉野の夜が明るいのは満月の日である。満天の星さえかき消す月夜は、子どもの目にまぶしかった。
暗いということが、あるいは明るいということが、こんなにも人を魅了するのかを知った。闇は想像力をかきたてる。土葬に使う円い棺。平家の落人。狂人の額のように垂れ下がった雲から鋭く折れ曲がり、闇を貫く蒼白い稲妻。
 
 隣家に女子中学生がいた。朝いずこともなく自転車に乗って出かけ、夕方に帰ってくる。週に一度か二度、川で泳ぐ男の子に目もくれず、競泳用の紺色の水着を着て川に入り、深みまで行って泳いでいた。歩くときの肢体はカンナ(花)のように艶っぽく、若鮎のような泳ぎが風景に溶けこみ、曇空でも明るくなった。
 
 子どものころ何を考え、何をしていたかを知りたがったのはMさんだ。私が少年時代を過ごした家を見たいと言った。そのときMさんに何を話したのかよくおぼえていない。おぼえているのはMさんの顔である。マルセルのような表情だった。目はかがやき、わくわくしながら聞いているのがよくわかった。魅惑的な面持ちだった。
 
 そのときマルセルの表情はMさんに似ていると思ったけれど、母オーギュスティーヌの性格、生きる姿勢はむろん私に似ていない。あえて言えば、オーギュスティーヌは私の伴侶に似ている。
 
 ドラマは脚本、演出、俳優、音楽、ロケーションがそろっておもしろくなると以前述べた。「マルセルのお城」はそのすべてがそろっている、共感までもが。共感は帰結だ。しかしあたかも帰結を映画のなかに組み入れたかのごとくみる者を感動させずにはおかない。そしてその共感は、山から山へ、谷から谷へ、峠から峠へ果てしなく響きわたるこだまである。
 
             (未完)

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