Mar. 20,2006 Mon    庭園班OG(2)
 
 「書き句け庫」を書く前に思い、途中でも思い、いまも思っていることがある。書く側であるより書かれる側でありたいと。
とりわけ古美研OGとか庭園班OGについての思い出を記すとなると、自分で書くのもわるくはないけれど、人に書いてもらうほうがハラハラ、ドキドキするにちがいない。大昔のときめきの名残というか、残滓というか。
 
 だれしもあの頃は配偶者持ちでなかったし、ひそかに想いを寄せる異性の一人はいたわけで、というと、配偶者がいれば想いを寄せてはいけないのかという話になるが、それはダメ、もってのほかである。
とにかく若かった。若さにどのくらい値打ちがあるか、そんなことに気づくのも中高年になってからではあった。中高年になったいまも気づいていないふりをする者はこういうかもしれない、「だって、いまも若いもの」。それはあなた、あんまり厚かましかろう。
 
 若さのせいなのかどうか、想いを寄せる相手のことを、心を許した同性になぜか話したくなることがあった。特に私たち男は、好きな女性について何か語りたくなり、気のおけない友に聞いてもらいたくなって、衝動的に打ち明けたりした。
なかには秘密主義者もいて、秘めたる想いは秘めるからこそ値が上がるというような美学の持ち主もいた。どちらがどうということはない、ただ、心を許しあう友に打ち明けたときのあの妙なる喜び、自己陶酔、これは経験した者でないとわからないと思う。
 
 美男美女が寄り添って坂道を歩く姿に私はみとれてしまう。庭園班OGのSさんと彫刻班OBのHHもそんなカップルだった。ある日、品川から渋谷方面に向う山手線の車内で、「Oさんが桔梗なら、Sさんはスズランかな」といったらば、HHは臆面もなくこういった。「鈴蘭でもあり、野の白百合でもある」。
 
 彫刻班OGのOMさんは毅然として隙がないが、庭園班OGのSさんは高校時代テニス部に所属していたから、容姿はスポーツウーマンという感じで、匂い立つようなというか、こぼれんばかりの色気があった。肌の色は小麦色、なのになぜか白い花を連想させた。Sさんのことをバラといわずスズランといったのは、HHの気持ちを汲んでいたからである。
 
 バラは万人のために存在し、スズランは個人のために在るというのが私たち共通の認識だった。それを言葉に出さなくてもHはわかっていた。Sさんは万人ではなく個人のために存在するほうがよい。 
 
 古美研野球大会の予定地は当初、世田谷区民グランドではなく品川区民グランドであった。Sさんのお父さんは当時品川区長で、Sさんに頼んで申し込んでもらおうという腹づもりだった。が、HHはそのことだけでなく、Sさんが休日どんな顔をしているかにも興味があったようである。
 
 Sさん宅は、下がレンガ、上が鉄柵で、ところどころ花の植え込のある塀に囲まれ、丁寧に刈り込まれた芝生の開放的な庭が、玄関まで適度な距離を保つ瀟洒な二階建て洋館だった。
インタホンを鳴らしたら若い男が応答した。なんじゃコリャ、と私たちは思わず顔を見合わせた。しかたなく身分と名前と告げると、しばらくお待ちくださいとのことであったから、門前の小僧になって待っていたが、なかで何かあったのか、ずいぶんと待たされた。
 
 まだかいなとシビレを切らしかけたとき、芝生の向こうから小柄ではあるが、がっしりしたスポーツマン体型の男が現れた。凛とした表情のその男は私たちのほうに近づきながら後を振り返り、「K子、お友だちの方々が来てくださっているんだ、さっさと出てきなさい」といった。
 
 よく通る声だった。その声に促されてSさんが歩いてきた。昼寝の途中と顔に書いてあった。こころなしかふくれ面にみえた。Sさんの心地よい午睡は、闖入者によって中断されたのである。
咄嗟に言い訳を考えた。しかし、うまいセリフは浮かんでこなかった。HHをみたら、まずかったかなあという顔をしている。そのくせ頬がゆるんでいる。寝起きのSさんの顔を見ただけで来た甲斐があったとでもいいたげな風情。
 
 「はじめまして、K子の兄です」。Sさんのお兄さんは早稲田の理工学部だった。さかんに私たちを家に招きいれようと気づかいし、言葉をかけてくださるのであるが、自分たちのぶしつけさもあって丁重に辞退した。
そしてまた、お兄さんのすぐうしろにいるSさんの、イヤあネ、電話もせずにいきなり来たりして、来るなら来るで前もっていってよネ、それなりの準備もあるんだからと、伏目がちの無言の咎め立ての気配を察知したとあっては、なおさらお招きには与れない。
 
 ところで、Sさんが出てきたときからHH、Sさん、私が気づきながら黙っていたことがあった。Sさんの着用している半袖シャツと私のそれとはまったく同一なのである。当時、アイビールックの名で若者に人気のあった某社製の、白と紺のチェックのボタンダウンだった。ある日、私が学館で着ていたら、Sさんがハッという顔をした理由がそれでわかった。
 
 あのとき、快適な睡眠をいきなり破られたSさんは、お兄さんにせかされて、あわててそのへんにあるものをつかんで着、急いで出てきたのだ。そして、私の半袖を見て気づいたのである。
 
 帰りの山手線の車内で思い出し笑いするHHに、「よせよ、気持ちがわるい」とたしなめた。おおかた、プッとふくれたSさんの顔でも思い出しているのだろう。
新宿で小田急線に乗り換えるはずのHHが渋谷で降りるという。まだ話し足りない、そう思っているにちがいない。美人は寝起きの顔まで美人だな、そんなご託、私は聞く耳持ちません。
 
                          (未完)

前頁 目次 次頁