Oct. 05,2018 Fri    ミステリードラマ
 
 米国のミステリードラマはおもしろくない。米国のミステリーファンやハードボイルド贔屓は不愉快だろうけれど。米国発の小説だけならフィリップ・マーロウはまずまずと思うが、マーロウシリーズを書いた作家レイモンド・チャンドラー(1888−1959)は母親に連れられ1900年12歳でロンドンに移住し、パブリックスクールに通った。
その後ヨーロッパ各地を旅し、職を得るため英国に帰化し公務員となるが、1年とは持たずブリストルの小新聞社の記者となった。少年期から青年期にかけてチャンドラーは英国の風を全身にうけているのだ。そして1912年、古巣米国へと向かう。しかし米国市民権を取得したのは死の3年前、1956年のことである。
 
 チャンドラーが最も感服し、同時に嫉妬したと思われるのはアガサ・クリスティに対してであるだろう。チャンドラーは「オリエント急行の殺人」について、「これは、どんな鋭敏な頭の持ち主をも呆然とさせること間違いなし、というタイプである。薄馬鹿だけがそれを理解できるのであろう」(単純な殺人芸術)と語っている。
 
 そのことに関して東秀紀は自著「アガサ・クリスティーの大英帝国」のなかで、「批判というより、ほとんどヤケクソというか、悲鳴に等しい感想だ。チャンドラー自身、ミステリのさまざまな制約、ルールをきちんと守ってしまうと、内容としてつまらないクイズに陥ることをよく知っていた。だから彼は本格ミステリを書く意義を認めなかったわけだが」とし、
 
 さらに、「【オリエント急行の殺人】にルールを破りながらも、謎解きを越えた、時代を描き切った【文学】を認めたのであろう。二つの大戦間の時代における、人々のライフスタイル、生と死、そのドラマを書くことが、【大いなる眠り】などのハードボイルド小説でチャンドラーの目指していたものだった。だから彼が【オリエント急行の殺人】を読み終えて聞いたのは、まさにクリスティーの哄笑だったに違いない。」と述べている。
 
 チャンドラーは生前、フィリップ・マーロウに一番近い俳優はケーリーグラントであると語ったらしい。チャンドラーは1959年に亡くなっているので、それ以降の映画を知らない。映画「大いなる眠り」(1978)や「さらば愛しき女よ」(1975)でマーロウを演じたロバート・ミッチャム(1917−1997)こそがフィリップ・マーロウである。
うらぶれた事務所には従業員もいない。机に置かれた古い電話が依頼主を待っている。電話は鳴らない。どうやって生活しているのか、倦怠感のただよう中年の私立探偵。だが能ある鷹なのだ。ミステリーとハードボイルドの見事なハーモニー。
 
 近年、米国発のミステリードラマでこれはと思ったのは「警察署長ジェッシィ・ストーン」(2015年11月19日「書き句け庫」)。主演トム・セレック会心の当たり役で、婦警役ヴィオラ・デイヴィス(@〜B)、キャシー・ベイカーもいい。
すぐれたドラマにうまい共演者あり。Hを心待ちにしていたものの、2017年10月スカパーでの放送はあったが、WOWOWでの放送はなく、みていない。
 
 ミステリーといえば英国である。シャーロック・ホームズから刑事モースまで、日本で放送されたミステリードラマのほとんどがおもしろい。ホームズのようなスーパーヒーローもいいけれど、ベイカー街の事務所から屋外に出るシーンの少ないのが玉に瑕。ロンドン中心のドラマは東京中心のドラマ同様、一本調子でおもしろみに欠ける。
 
 ドラマは脚本、演出、俳優、音楽、ロケーションの5拍子がそろっておもしろくなる。「主任警部アラン・バンクス」の舞台はヨークシャーだ。彼の自宅はリーズやハロゲイトから遠くないヨ−クシャーデイル東部の一軒家。車を走らせるシーンもアップダウン、カーブの多い細道である。荒涼たる風景がドラマと合致してすばらしい。
 
 アラン・バンクスは自分の勘を頼りにするし、勘は当たることも外れることもある。不器用で頑固な熱血漢、高潔にして庶民的、人格にも息づまるストーリー展開にも魅了される。彼は単なる捜査官と一線を劃し、救われようのない被害者と遺族に同情し、加害者への怒りに燃える。
部下の女性刑事アニーとヘレン、男性刑事ケンもうまい。放送されるたびに次の放送をたのしみにしていたが、2017年1月の最終章で終了した。英国でかなりの人気番組だったこともあり、残念きわまりない。
 
 「修道士カドフェル」は中世のシュルーズベリー近辺で繰り広げられるミステリー。1135−1153年、イングランド王スティーヴン治世の内乱時代を背景とする。
十字軍遠征に参加しエルサレムにも行ったカドフェルは、当時のヨーロッパとは比べものにならない文明を誇っていた中東から薬草の種を持ち帰り、修道院の庭で栽培するという設定がよく、カドフェル役のシェイクスピア役者デレク・ジャコビも秀逸。
 
 「刑事モース」については別稿でふれた。モースの風貌はシャーロック・ホームズ的要素はないように見える。ところが頭脳明晰、博覧強記、記憶力抜群。モースのクラシック音楽好きも魅力。ショパンやドヴォルザークの名曲、オペラのアリアなどBGMはドラマのシーンにマッチし聴かせてくれる。
サーズデイ警部補役のロジャー・アラムは不可欠。ブライト警視正のアントン・レッサーはわざと目立たないことで存在感を稀薄にしているが、「嘆きの王冠」(The Hollow Crown)7部作の「ヘンリーー6世パート1」、「ヘンリー6世パート2」、「リチャード3世」にエクセター公トマス・ボーフォート役で連続出演し、シェイクスピア役者の本領を発揮した。
 
 「刑事モース」に途中出演した女性巡査トゥルーラブ役ダコタ・ブルー・リチャーズは本邦では無名の女優だが、映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」(撮影時13歳。日本公開は2008年)のライラだといえば思いあたる人もいるだろう。ライラは共演者ダニエル・クレイヴ、ニコール・キッドマン、エヴァ・グリーン、デレク・ジャコビを向こうに回して一歩もひけをとらなかった。
 
 「刑事モース」での役名トゥルーラブがいい。ほんとうの愛。どこかしびれるような名前である。実年齢20歳くらいで女性巡査をやっており、若いけれどモースが気づかないことをさらりと指摘する。
スペイン語ほか数カ国語を自由にあやつる。しかしモース同様謙虚である。ドラマは特長をそなえたうまい共演者数名によってさらに盛り上がる。ミステリードラマはこうでなければ。(WOWOW放送の「刑事モース」は19回目が終わって2018年11月、20〜21回目が放送予定)。
 
 古き良き時代のミステリードラマにも特筆すべきものはある。アガサ・クリスティー作品のなかでも「エルキュール・ポワロ」シリーズ、「ミス・マープル」シリーズ。2018年になってもテンポのよさは古さを感じないし、主人公はむろん、毎回のゲストも見るべきものが多い。
 
 ベルギー出身の探偵ポワロは都会派。衣服、食べもの、出先の宿など何事も一流好み。しかもロンドンからあまり出たがらない。が、観光ブームという時代の要請もあって、そしてまたクリスティーの旅好きもあり、無理矢理ポワロは旅をさせられる。前述の「オリエント急行の殺人」は、クリスティーが知人に紹介された海軍中佐夫妻からオリエント急行やメソポタミアでの発掘について聞かされたことが発端である。
 
 オリエント急行、紺色の豪華な特別列車。それは旅にロマンを求める中流階級英国人の羨望の的だった。「アガサ・クリスティーの大英帝国」の帯に「ミステリとは、その時代の表現であり、観光とはその時代に生きた人々の夢や憧憬」と書き記されている。むべなるかなである。
20世紀初め、オリエント急行パリ・イスタンブール間1等コンパートメント料金は英国のベテラン執事1年分の年収に相当したという。1928年秋、クリスティーはオリエント急行の乗客となった。自らの胸の鼓動が聞こえたにちがいない。時まさに二つの大戦のはざま、バブル絶頂末期。ウォール街に始まる大恐慌が足早に近づいていた。
 
 テレビドラマ「名探偵ポワロ」のエルキュール・ポワロはデヴィッド・スーシェが長年つとめた。常に仕立ての良いスーツ、あるいは高級ガウンを身にまとい、やや猫背で、お腹が出ている。
スーシェが独自にあみ出した変装はポワロの代名詞。スーシェのポワロはナイトガウンにこだわる。ドラマ一本に数回ガウンを着替えることもしばし、一生に一度あのような名仕立て屋による別誂えのガウン=デザインと色柄に目を奪われる=を着てみたいものだ。
 
 デヴィッド・スーシェは前述のアントン・レッサーと共にシェイクスピア役者である。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに所属し、様々なシェイクスピア劇に出演してきた。映画「嘆きの王冠」7部作の「リチャード2世」でヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーをやり、名人芸で観客を瞠目させる。
 
 「ミス・マープル」はポワロと対照的にカントリーサイドの架空の村セント・メアリ・ミードに住む聡明かつ好奇心旺盛な老女マープルが難解な謎解きに挑む。マープルの小さな家と庭、花がすばらしい。
シリーズの舞台はほとんどセント・メアリ・ミード村だが、時にデヴォン州のリゾート地、英国女優ルイス・ウィルソンが運転手役で登場したバス旅など、村から離れることもある。そういうとき決まっていうのはセント・メアリ・ミードのたとえ話である。
 
 名探偵ポワロもミス・マープルもおおむね5拍子そろっておもしろく、それぞれのテーマ音楽は何度聴いても飽きない。両方とも吹き替えである。ポワロの熊倉一雄、マープルの岸田今日子がよかった。アラン・バンクス、サーズデイの声優もどんぴしゃ。吹き替えは字幕とちがって声優の選択をまちがうとタイヘン、いい台本と名訳があっても、ドラマそのものが台無しになってしまう。
 
 マープル役はジョーン・ヒクソンがいいという人もいるが、ジェラルディン・マクイーワン(初代声優が岸田今日子)がよかったと私は思っている。マクイーワンは映画「ロビン・フッド」(日本公開1991年 ケビン・コスナー主演)で悪役の魔女をやった。ロビン・フッド相手の強烈な立ち回りが記憶に残っている。悪役もこなせる面立ちが冷酷な殺人者を推理で負かす。適役というほかない。
 
 役者はオファーがあってスケジュールを確かめ、監督、演出家を調べ、出演可能とわかったとき真っ先にみるのは脚本であるような気がする。卓越した役者は脚本を読むうちに役のイメージというより人生が次から次へと浮かんでくる。スタジオ入り、もしくはロケ入り前に役柄の人間そのものを生きるというハラが出来ているのだ。
 
                     (未完)

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