Sep. 27,2018 Thu    そして英国(6)

 
 離島で過ごすのもいいだろう。しかしイングランドのワイト島のように国内外の観光客が押し寄せる大きな島は避けたい。そう思ってスコットランドのスカイ島、オークニー諸島を旅した。収穫はあったけれど、島の規模は航空機が離発着するほど大きく、もっと小規模で人口の少ない島で過ごせないだろうか。1999年6月、北イングランドを旅したとき、ヨークの書店で立ち読みしたホリー・アイランドならいいかもしれない。
 
 ホリー・アイランドはリンディスファーン島の名でも知られるノーサンバーランド州ベリック・アポン・ツィードの南東13キロにある小島で、北海に浮かんでいる。干潮時は英国本島から徒歩で行けるが、満潮時は小舟に乗るか泳いで渉らねばならない。団体客御用達のホテルはゼロ、4〜6室程度のB&Bが数軒、傍若無人にふるまうチャイニーズもセレブもやって来ない。それは好都合、そこに5〜6泊すれば撮影の幅を拡げられる。
 
 問題は予約可能なB&Bがあるかどうか、村のパブでまずまずの食事がとれるかどうか。そこで選んだのがシップ・インというパブ兼B&B。住民の多くは漁師ということで、夕食(別料金)に新鮮な魚介類を供してもらえるなら、本島のよくわからないレストランよりましだろう。
 
 2Fに130ポンド2部屋、135ポンド1部屋、110ポンド1部屋の4室しかなく、バスタブ付きは135ポンド、ほかはシャワーのみ。幸いバスタブ付きの部屋を手配できた。北イングランドの辺鄙な土地にあるB&Bはバス付き一泊90〜105ポンドが相場。2012年に内装をリニューアルしていても割高感はある。1Fのパブで食せる北海産の魚介類も地元の野菜も水準を上回っており、といっても毎食は避けたく、夕食は本島のレストランとシップ・インで交互に摂った。
 
 小さな離島滞在は礼文島以来だ。礼文島は面積約81平方キロ、人口約2570人。面積5平方キロ、人口180人のリンディスファーン島に較べると面積は16倍、人口も14倍と比較にならないほどの島である。
リンディスファーン島の舗装路・全長は5キロ。ドライブするには短すぎる。天候に問題なければ未舗装の地道を歩くにかぎる。特に雑草が生い茂る景勝地は徒歩以外に考えようもない。
 
 来る前までロケーションは抜群なのに観光資源は少ないと思っていた。来てみると大きな間違いだった。英国で買い求めたガイドブックにも選択偏向、不可知領域はあり、旅人個々の要望を満たしはしない。ガイドブックは旅人の求めるものをはるかに凌駕する風景があることを知らない。
 
 リンディスファーンに関してガイドブックが言及するのは福音書で、風景に関して述べることは少ない。リンディスファーンは島全体が宝庫だ。村の宿泊施設は少なく、大きなホテルもないから旅行者のほとんどは英国本島に宿をとり、いずれにしても日帰りである。巡礼者はノーサンバーランドの巡礼をつづけるため、わずかな人たちを除いて村には滞在しない。
 
 リンディスファーン城は近くでみるより遠くからみるほうがいい。その点ダンスタンバラ城は遠くからみると美しさ、気高さが伝わり、近づくにつれて寂寥感が高まる。置き去りにされ、内外部とも風雨にさらされている廃城の孤独が胸にせまってくるのだ。リンディスファーン城は廃城ではなく、一抹の寂寥を感じるだけである。
遠くにリンディスファーン城を見てしばらくすると寂しさにとらわれるのは、北海をわたって吹く風になびく草浜のせいかもしれない。だがその寂しさは、空と海が無限に広がるあの調べに似てどこか懐かしく、清々しかった。
 
 草浜をひたすら歩く少女がいた。後ろ姿がだれかに似ている。面影を追って足早に近づき横顔をみる。体型はもう少しスリムだったかもしれない。だが近づくにつれて目から消えていく。なぜか。45年も会っていないからだ。その後のすがたを知らないからだ。
現在、あのころの漠然とした不安は強まり、劃然とした使命感は弱まって消滅寸前である。存在感はあいまいになり、心身にみなぎっていた潮が時計の針にあわせるかのごとく引いてゆく。老いとはそういうものか。
 
 老いてはっきりするのは、逆説的にきこえるかもしれないが記憶である。はっきりおぼえているか、ほとんど忘れているかの差は大きく、記憶の内容によっては偏向著しい。
映画「アリスのままで」のアリスはことばが出てこない、なれている道に迷うといった症状が発生し、専門医にアルツハイマー病と診断される。病名を知った彼女は「記憶はかけがえのない宝物」だと気づくのだ。
 
 昭和26年〜34年ごろ、戦中の疎開先・宮崎県で農業をおぼえた祖父が、私たちの住んでいた家に隣接する土地80坪を耕し畑をつくったことは以前述べた。畑の隅に小屋を建て、20羽ほどのニワトリを飼っていた。その話を書いたときは思い出せなかったけれど、ヤギを2頭(当時は2匹と言っていた)飼っていたのを突然思い出した。
 
 小屋の中央付近にヤギがいて、左右に棒でこしらえた柵があり、ニワトリはそのなかにいた。祖母がヤギの乳は胃の負担になりにくいのでと言っていたような記憶がある。祖父は若いころから胃弱だった。ヤギを忘れていたのは世話をしなかったからで、ニワトリは、散歩させたりタマゴを取りにいくのが自分の仕事であったからおぼえていたのだ。
 
 旅に出て、心に深く刻まれた風景に別れを告げるとき思い出すのは、昔日のなつかしい人たちだ。魂の通り道を往き来する家族であり、外面と内面が見事に一致する清廉な人たちだ。
 
 苦難は乗りこえねばならないと人は思う。そうではない、乗りこえられない苦難でも心にとどめ、時々はもどることもある。扉を閉め鍵をかけても、苦難が収束すれば、苦難から解き放たれた魂が自らの魂を覗きこもうとして扉を開けるのだ。心が折れそうになった自分を忘れないために。
しかし苦難のなかでも病は容赦がない。引き潮のない潮のように次から次へと押し寄せてくる。そして不屈の精神とやらをづたづたにする。
 
 人生は名探偵不在のミステリーだ。予想のつかない出来事、意外な展開。事件を解決してくれるはずの探偵はやぶ医者と同じであてにならず、どんでん返しの結末となる。
その先は人生の集合時間が訪れるまで不明。迷路をさまよい、ようやく出られたと思えば新たな迷路をさまようという寸法である。復活への小道は年々狭くなり、閉塞に至る道は広くなっている。
 
 リンディスファーンのような観光地でもあり巡礼地でもあるという場所を旅したのは、ミディ・ピレネーのロカマドゥールが最初で、満ち潮が素足にまとわってゆく感触はコーンウォールのセント・マイケルズ・マウントでも体験したが、滞在日数が6日間に及び、毎日島内を歩いたせいか、リンディスファーンは立ち去りがたい特別の場所になった。
 
 旅は思索をはぐくみ、思索は散策を友とする。シャッターを切る時間が多いなか、風と雑草が運んでくれたことを記すと。
 
 西欧における信仰とは何か。同じ方向をみて歩くことである。魂のさすらう先につながりを見出すことである。魂が安息できるかどうか不明としても、復活を信じることである。神の復活ではなく自らの復活を、愛した者の復活を。神は常に人間の復活を待っている。信じることが支えとなり、支えによって人は救われる。巡礼に出る理由はそこにあってほかにない。信じるものがなくても、かなしみの荒野で迷子にならなかったとだれに言えよう。
                                              (未完)

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