May 17,2018 Thu    語らいの座 2018年初夏

 
 2018年5月13日は朝から雨だった。そのうち小雨になるだろうと淡い期待をもっていたがかなわず、京都は午後9時ごろまで本降りとなり、鴨川も増水した。出かける前からくさっていた気分をとりはらい高速道路を走った。途中、茨木から高槻付近で篠つく雨となって道路は冠水、前を走る車や追い越す大型車の水しぶきで視界はさえぎられた。
 
 はやく高速道路をぬけないと気分はめいる。そう思っても出せるスピードに限度はある。京都南インターを降り、国道1号線〜九条通〜堀川通〜丸太町通を経由して烏丸丸太町を左折した。蛤御門前のホテルについたのは午後1時すこし前、集合時間まで約30分だ。
くさった気分は一転して仲間待ちモードに変わり、浮き浮き気分の「スイッチ」が入った。スイッチが入らなかったら仲間の顔も曇るだろう。15分後HKが来て、1時半かっきりMK君があらわれた。3人の再会は昨年7月初旬の岡山以来である。
 
 館内のレストランで昼食をとった(私は朝昼兼用食をすませたのでコーヒーのみ)。時間は早瀬のごとく過ぎ、何を話したのかおぼえていない。昼食を終えた者はみな一様にガラス越しの中庭に降る雨を見ていた。そんなときの沈黙が懐かしい。
雨はやみそうにない。しかし葉裏にかくれて雨のやむのを待つチョウではない。初日は貴船神社参拝の予定だったが2日目の北野天満宮御土居の青もみじ見学に変更。閉店ぎりぎりの2時55分にレストランを出て駐車場の車に乗りこんだ。
 
 北野天満宮に到着したのは3時過ぎだったろうか、降りしきる雨はやむ気配をみせず、境内の水たまりに足をとられたり、入口を間違えたりしながら御土居に入った。梅雨のあじさい同様、雨にぬれた青もみじは色あざやかで、朱塗りの欄干は青もみじの色をいっそうひきたてていた。
美しさをきわだたせる雨はさらに強くなって男3人の膝から下は悲劇的となり、MK君は「こんな靴はいてこなければよかった」と言う。MK君は実用的というよりデザイン性にすぐれた高級スニーカーをはいていたのだ。HKは錦秋のころ奥方を連れて来ようかなとつぶやいていたような気がする。
 
 帰りぎわHKは御土居入口の受付をしているアルバイトの巫女嬢に「写真を撮ってもいいですか」と言い、相手の快諾を得てスマートフォンのシャッターを押したあと、「家内には見せられないな」と言う。
「かわいい子だ」とMK君の同意を求めたけれど、「たいしてかわいくもないです」とMK君は素っ気なく、「ま、目にかすかな色気がある」とねばるも、「色気なんかないよ」と私が言うと、「そうでもないか」と打ち切った。自分にしかわからないと思ったのだろう。
 
 こんな話ができるのも男ならでは、女性がいればセクハラと騒ぐかもしれない。かつて班内で或る女性がセクハラと決めつけたのは、ほかの女性を話題にしたのがマナー違反で、しかもセクハラなのだそうな。
巫女の件は私も「便乗して1枚撮ってもだいじょうぶですか」とHKの言を確認するため撮らせてもらい帰宅後パソコンに取り込んで見たが、特に色気はなく、かわいげな面立ちでもなく、HKの軽度の眼病が気になってきた。
 
 まだ4時ごろで、おおかたのお寺は拝観を終了しているが、西賀茂の正伝寺(上の画像)は5時まで。北野天満宮から20分前後でつくだろう。正伝寺に行っても拝観時間が限定されるからHKもMK君も積極的そぶりをみせなかった。
しかし行って正解だったのは、ほかに拝観客がいなかったこと、やれやれとばかりに足をのばせたこと、約30分学生時代の話で盛り上がったことである。
 
 庭園班分科会合宿のさい拝観したならチーフはだれだったのか。私は分科会合宿に参加していないので知らない。
HKもMK君も思い出そうとするのだが、約半世紀前のことでほとんど忘れている。ああじゃこうじゃのあげく、8月下旬奈良の古美研全体合宿・自由行動日に正伝寺へ行ったのではないかという曖昧な結論に至った。
 
 意外だったのはMK君が正伝寺のロケーション、雰囲気をいたく気に入り、「京都のおじさんと行くのは洛中の料亭や飲み屋ばかりじゃった。洛外は合宿のときに行った記憶しかないので、正伝寺に来てよかった」と口走ったことである。
MK君の四国の自宅は三方を林に囲まれ、野鳥が遊びにくる。正伝寺に向かう車のなかでウグイスの話をしていたら、参道を歩いている途中いいところでウグイスが2度も鳴いた。雨はやんでいないのに。
 
 いったんホテルにもどって夕食のため再び出かけた。雨が降っていなければ京都御苑を横切り(蛤御門〜清和院御門)、寺町通を南下、河原町通指物町まで約20分を歩く予定だった。ほかの面々はタクシーを拾おうと考えたが午後6時台の烏丸通に空車は来ない。小雨なので歩こうということになって、京都御苑を西から東へぬけて寺町通に入った途端、雨足が強くなった。
 
 歩けば発見もある。新島襄の邸宅、灯りの点った下御霊神社の百個ほどの提灯。そんな風景に立ちどまりながらMK君が寄りたいと言っていた寺町通沿いの親戚(MK君の叔母さん)の居宅前まで歩いた。
携帯電話を取りだしたMK君がボタンを押そうとしたそのとき、つきあたりの扉が開いて初老の女性があらわれ、「いやぁ、キミアキちゃん、どうしたの」と甥の不意の登場を歓迎する朗らかな声をあげた。MK君がかわいがられていることを如実に示す声のひびきである。
 
 「先輩ふたりと京都に来たけん、叔父さんにお線香あげたくて寄らせてもらいました。」。MK君の叔父さんは数年前旅立っておられた。「そうやったの、早う上がって」と叔母さんは言う。HKと私が玄関先で待っていたら数分後にMK君はもどってきた。「みなさん、お時間があればコーヒーでも飲んでいかれませんか」。
叔母さんは喫茶店をはじめたのだ。親切におっしゃってくださったけれど、夕食予約時間はすでに15分過ぎていた。丁重にお礼を述べ料理屋へ向かう。料理屋は叔母さん宅から3分の至近距離だった。
 
 料理屋では最近のニュース種が話題になって、MK君のぼやき漫才もはじまり、HKの論考のようなものも出てきた。財務省事務次官のセクハラと財務大臣、首相夫人関連、森友・加計問題など。
どの話題も重要なものとは思えず、省庁による隠蔽などこれまで同じようなことが幾度となく繰りかえされてきたようにも思え、いつの世も滑稽な大臣、官僚の輩出はあり、メディアも挑発を重ね、失言や虚偽の発言に待ってましたと飛びつく。メディアは常に手ぐすね引いているのだ。エリート集団かならずしも事実をいうとはかぎらず、犯罪者かならずしも嘘をつくとはかぎらない。真相究明に関して真摯に対応する人間は官界に少なく百鬼夜行の様相を呈している。
 
 ぼやくのも、憤るのも笑うのも、会話をたのしむのも生きる糧となるのならそれでよい。烈々たる思いを秘めて語らなくても、単なる発散であってもかまわない。悩みを打ち明けたり喜びを分かち合えるならさらによい。
花のある人は喜びをもたらす人でもあるだろう。そして何の花か判別できなくなったとき初めて、その人固有の人間像が浮かびあがる。生き方はさながら花に、自然に似るのである。将来、人生の幕が降ろされようとするとき、心を満たしてくれるかもしれないのは花なのだ。
 
 料理屋を出たら雨はすっかりあがっていた。河原町通を南に向かって歩き、二条通を鴨川方向へ左折、ホテルフジタの跡地に建ったホテルのバーで談笑。バーを出るとMK君は新京極でギョーザを食べようと言ったが、時間は午前零時。明日もあるからこのあたりでと言ったらば、近場のラーメンでもと言う。深夜の御所を歩こうと提案し、MK君も渋々歩き出す。
 
 御所の門はすでに閉まっていると思っていたのだろう、HKは寺町通を歩くのを避けようとした。だいじょうぶ、昼間開いている門は深夜も開いていると言っても半信半疑だった。寺院の閉門はおおむね夕刻、御所の門が深夜開いているはずはないという固定観念にとらわれていた。
午前零時を過ぎた御所なんて何度も来られるものではない、雨上がりの御所はさぞステキだろう、洛中とはいっても真夜中の京都御苑は森羅万象眠りにつき、精霊と眷属が活動する場所なのだ。
 
 清和院御門の南の寺町御門から御所に入ると、仙洞御所の外塀を横にみて角を右に曲がり、大宮御所の北西の角で左に折れ、直進すれば蛤御門である。ほの暗い灯りに映しだされた御所のえもいわれぬ美しさ。
 
 御所巡回パトカーが遠くにぼんやり見え、暗く落とした車のあかりはあたかも道行提灯である。提灯はゆっくり進み、どこへともなく消えていった。そこは森閑たる静けさにつつまれた別世界だ。水を含む木々が生みだした靄が立ちこめ夜明けを待っている。深い夜が幻想的な雰囲気をかもしだしている。
なんという幽艶、なんという清々しさ。これを見せるために大雨を降らせ、ここへ連れてきてくれたのか。そう思わずにはいられなかった。出かけるときはくさっていたのに、一日の終わりには感謝している。そんな日は年々減りつつあっても。
 
 
☆深夜の京都御所はMK君も歩きながら絶賛していましたが、二条通のホテルのバー(二次会)で飲んだ2杯のマンハッタンがきいたのか、めずらしくご酩酊あそばした上での言であり、酩酊していなかった小生の感想のみ書き記しました。ホテルで入浴後、MK君はさらに2合入り日本酒をあけ、翌朝の和食もおいしくいただいたそうです。なお翌日の貴船神社はみるほどのものがなく割愛☆

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