Dec. 09,2017 Sat    旅、そして旅(3)

 
 「春を告げる花の色はなぜか黄色が多い。タンポポ、菜の花、トサミズキなど、早春の光に輝いて風景をいっそう明るくする」。「不退寺のレンギョウ」(2007年3月12日)の書き出しである。
キングサリは初夏の花だ。なのに秋の黄葉を思い起こさせる。春咲く花の黄色に較べてあでやかなゴールドイエローということもあるし、キングサリ棚の密生ぐあいがフジ棚の色違いの様相を呈しているようにも思える。フジは色とりどり、紫、藤、青紫、赤紫と白の混淆、白などバラエティに富んでいるが、キングサリはゴールドイエローのみ。
 
 フジが色香の盛り30代を連想させるなら、キングサリは20代の匂い立つ色香、あるいは、夢をもう一度的な、色香が尽きようとする40代〜50代前半を想起させる。その年齢に達すれば20代への憧憬が高じて揺り戻し現象がおきる。
キングサリ(金鎖)もフジも香りは強く、特に麝香フジの濃厚な香りは、匂いに過敏な人は酔うかもしれない。キングサリは寒さに強いが暑さに弱い。いかにも北ウェールズに適した花である。
 
 若さのほとばしる20代、交流を深めつつある女性が少量の日本酒を呑み、口から発せられる甘い匂いに較べれば、フジもキングサリも顔色なからしむる。その甘美な匂いは単なる濃厚さと一線を劃す。お酒に強い女性、弱すぎる女性から甘い匂いは発せられない。適度にたしなみ、甘い香りをかもす体質でなければならぬ。飲み過ぎると酒臭いだけだ。
 
 思いを寄せる女性の甘い匂いは嗅覚を刺激するだけでなく視覚に訴え、匂いの対象をより魅惑的にし、さらに対象にふれたいという衝動が触覚を呼びさまし、事におよばなくてもトロトロになってしまう。こうなれば男はパブロフの犬か、それ以下である。そのような状況下で衝動を制御してこそ花があるというもので、セルフコントロールできる人間として相手の女性からの評価も高くなる。
 
 しかしこれも限度があって、というのは自分の忍耐の限界ということではなく相手の我慢に際限があり、悠長にかまえているといつまで待たせるのとそっぽを向かれることもある。そこのところのタイミングを見誤ればそれまでの辛抱は報われずじまいとなるだろう。
そうなってもかまわない、だからこそいまの自分があるのだという御仁も少なからずいるから人生は多様でおもしろい。問題なのはいつ花を咲かせるかということだ。20代〜30代なのか40〜50代か、あるいはもっとあとか。いずれにしても男女の別を問わず、枯れる前に咲かせてこその花である。人間は花とちがい枯れたら二度と咲かない。
 
 ノスタルジーに果てがないのは、死んだ人は生き返らないからだ。再会できないから追懐がつのるのは、生きていても再会できない場合と同じである。再会できれば満たされるのに、できないから追懐はつづき、時間は止まったままで記憶も消えない。再会すれば忘れるはずの事柄が壊れたレコーダーのように再生を繰りかえす。ノスタルジーはリセットできないのだ。
 
 1971年10月のアフガニスタン。着陸態勢に入り、地上すれすれに飛ぶ機内のすぐ真下にブルーモスクがあった。砂ぼこりのなかから忽然とあらわれたのだ。手を伸ばせば届く距離にみえた。その数年後グラナダのアルハンブラ宮殿を見学した。しかしアルハンブラには感動の一片もなかった。順序が逆であればそんなことはなかったろう。マザリシャリフのブルーモスクは魂を震撼させるに十分だった。
ヘラートのタフティ・サファールは日没時に行かねばならない。顔も手も着衣もすべてあかね色に染めずにはおれない広大な夕景がそこにある。ふりかえればミスティブルーの空に月が浮かんでいる。バーミヤンやバンディ・アミールのほかにも魂をゆるがせる風景が存在する。それらが心の風景となるのだ。
 
 英国にも心の風景はあった。スコットランドには北海に置き去りにされた孤高の廃城ダノッター城、荒涼たる風景ゆえに温かさを見いだすグレンコー、ヨークシャーには自分が何者か自問させるムーア、ウェールズにはあるべき姿を示唆してくれるスノードニアの山と村。実生活に忙殺されるとすべきことを見失う。では、すべきこととは何か。
 
 そんなことを思う前にまずイングランドに魅了されたのは理不尽きわまることのない王室の歴史だった。16世紀に登場したヘンリー8世の二番目の妃アン・ブーリンは最初の妃キャサリン(カスティリア女王イサベルの娘ファナの妹)の犠牲の上に王妃となり、ヘンリー8世は3番目の妃ジェーン・シーモアと結婚するためにアン・ブーリンを処刑した。
 
 ヘンリー8世の死後、国王となったエドワード6世はジェーン・シーモアの子で15歳にして急逝、その次にイングランド女王となったのはキャサリンの娘メアリーであり、メアリーの死後アン・ブーリンの娘エリザベスが女王として即位する。
エリザベス(1世)の在位期間は45年におよび、在位中にやむなく処刑したスコットランド女王メアリー・ステュアートの子がエリザベス1世の死後イングランド王となる。回転木馬のごとき運命のいかんともしがたい皮肉。
 
 そうした奔放で整合性のない歴史にもかかわらずイングランドの民主主義が成長したのはなぜか。もしかしたら歴史に翻弄された人間も結果的に整合し、秩序が保たれているのかもしれないイングランド王室史ではあったけれど、寝物語というには憚りのある史実であり、20世紀のエドワード8世とシンプソン夫人の交流、王太子チャールズとカミラの不倫愛へとつづく色情、もしくは好色の人間模様なのである。そのかぎりにおいて時に色情は政情を凌駕する。
 
 そしてそういうものとは無縁の、思い出すだけで胸が熱くなり、頭がしびれ、喉の奥が痛くなる追懐の地。48年にわたって海外を旅し、率爾ながら36年伴侶と暮らし、思索の森をさまよい、言葉の海をただよい、その結果得たのは生きることに意味があるのかもしれないということだった。
旅に花があるように人生にも花はあるだろう。花は枯れるか散るとわかっているから意味をもつ。浮世のあだ花も花のうちと歌の文句みたいなことはさておき、浮世にたわむれ咲いて散るあだ花と異なる花を愛で、人生はあだ花でなかったと思える晩年をおくりたいものである。
 
                                (未完)

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