Nov. 07,2017 Tue    そして英国(3)

 
 旅は英国である。何度書いてもまた書きたくなるのは、ドライブの快適さ、カーナビに頼らず目的地近くまで迷わず行ける標識の多さ、目にはいる文字のわかりやすさ、ガラ空きで変化に富む道路、景色のすばらしさ、風の心地よさ、空気のうまさ。英国を旅するには、鉄道好きなら鉄道の旅が最適であるし、ステキな風景をみてしばし眺めていたいならレンタカーで旅するのが最良。右ハンドル、左側通行ゆえ違和感を持たず運転できる。車で旅をして英国ほど快適な国はほかにない。
 
 ただしこれはロンドンほかの大都市をはずしたカントリーサイドの旅にかぎる。大都市はこれでもかといわんばかりに道路は渋滞し、狭い場所に標識が乱立し、目がウロウロする。カーナビは時々でたらめを教え頼りにならず、ストレスがたまって疲れるだけ。何のために旅しているのかわからなくなる。
 
 レンタカーで移動できるのをもっけの幸いにして再訪を繰りかえした。鉄道やバスしか利用できなかったら再訪回数は増えなかったろうし、再訪意欲さえ失せていたかもしれない。腰に持病があって、重いものを持つと脊椎損傷のおそれが増すと整形外科医に脅かされていることもあるが、50代半ばをすぎて以降、体力が著しくおとろえはじめたことにも原因はある。
 
 英国を初めて車で回ったのは1999年6月、イングランドの一部と北ウェールズ、エディンバラの3週間、短い旅だった。
イングランドには北部と湖水地方以外に山らしい山はなく、最も高い山でもスコーフェル山(湖水地方)の977メートル。ウェールズの最高峰は1085メートルのスノードン山、スコットランドに1344メートルのペン・ネヴィス山があり、ペン・ネヴィスが英国最高峰である。
 
 なだらかな丘陵とムーア、そして平原が途轍もない規模で広がっており、山の少ないことがこんなにも大地の広さを実感できるのかと思った。
たいして大きくもない島国に不釣りあいな広い面積を持つヨークシャームーア、ダートムーア、ソールズベリー平原など。特に荒涼たるヨークシャームーアは見る者を寂寥へいざない、心の深淵に届く何かがあった。英国は不思議の国なのだ。
 
 英国はヨーロッパのどの国より肌合いがあっていた。特に静かな町を求めずとも、ほとんどの町と村がカントリーサイドといってもよく、ホテル、B&Bでむかえる夜は静かすぎて、妖精と話ができるのではと思えた。夜の深い闇と静謐。他国なら山間の一軒宿で経験する底知れぬ静けさが英国のいたるところで待ち受けていた。
 
 漆黒の夜は私が育った町にも昭和36年ごろまであった。周辺に街灯はなく、車も通らず、家々の灯りが消えると月明かりだけがたよりだった。冬の夜ふとんにくるまると、きこえてくるのはシーンという外気のうごめく音だ。空気に音がある。
ふと目がさめて耳をすませば、しんしんとふり、つもる雪の音がする。雪はほかの音を消し、静寂につつまれた子どもは安心して眠りに落ちた。
 
 英国のウォーキングはコッツウォルズのフットパスにはじまり、湖水地方のフットパスと低い山でのトレッキング、ノークシャームーアのハイキング、ウェールズではスノードン山系のミニ登山、ハイランドはスカイ島のトレッキングなどを経験してきた。どこもすばらしかった。
経路がわかりやすく変化にとみ、要所々々にこれはと思う絶景があり飽きないのだ。軽装で歩けるし、日帰り可なのも魅力。ひとつ難点をいえば、帰路の下りで膝が笑う前に腰にくることだ。そうならないよう随時休憩をとる。
 
 しかし長時間歩くことより危ないのは20分以上立っていること、同じ姿勢を保ったまま坐っていることだ。ドライブ中は腰を移動させたり姿勢をかえたり、連続運転は2時間まで、長丁場の航空機内では1時間か2時間ごとに通路を歩くことをこころがけている。
10年前に較べて激減したのは立ち読み。激増したのは図書館の利用。新刊書については、どうしても必要な書は買い、そうでないものは図書館にリクエストして入荷を待つ。
 
 英国関係の書籍は、1999年から2008年にかけて英国で買いあさっては日本に郵送したけれど、購入数が度を超し、洋書専用書棚を買い増し、それでも足りなくなってストップ、以降はよほどのことでもないと英国では買わない。書店での立ち読みがつらくなったことも一因である。
あれこれいっても結局、英国の蠱惑的とさえ思える魅力にしびれて旅を繰りかえしてきた。イングランドの魅力のひとつは大道芸だ。これは立ち読みして語れるものではない。ピエロのパフォーマンス、パントマイム、単数複数人の軽業、曲芸などさまざまな大道芸人がいる。
 
 なかでも愉快なのは、歴史上の人物をまねておこなう芸。最近みたものではシュロップシャーの町シュルーズベリーのチャップリンもどき。芸にも各種あって、ヘンリー8世とアン・ブーリンのペアは何もいわず、仲がわるそうにそっぽを向いているだけ。現女王エリザベス2世とチャールズの各々そっくりさんは、故ダイアナ妃をめぐって密談。
 
 大道芸のおもしろさを語るのは別の機会にして、各地で毎年ひらかれるフェスティバルにみるべきものが多い。ほとんどが町民、村民であるにもかかわらず、中世や近世の衣裳を縫いあげ、行列の種類に合わせて武具を身につけたり携えたりし、着衣と顔で時代を模写する。見事である。
 
 住民に旺盛なサービス精神があり、しかしその精神をあらわにせず、敗者は眉間にしわを寄せ、あるときは口をとがらせ、またあるときは首をうなだれ、足どり重く行進する。勝者はというと、大多数は敗者に負けず劣らずしょぼくれ気味、両者ともに疲弊しているのだ。勝利に酔い、意気揚々と行進しているのは、みるところ荘園領主とその家来、領主の財布をあてこむ商人だけである。
その対比はだれの目にも明らかで、よくもわるくも親近感がわき、写真になる。歴史を模して現在を象徴し、皮肉るお祭りで、そこはシェイクスピアの国なのだ。
 
 英国を称して、食べられるのは朝食だけ(昼食夕食はまずいの意)と言った者がいた。おおかた45年ほど前にグループ旅行した大学教授かメディアの人間だろう、ロンドンあたりでツアー客御用達のホテルに泊まり、ホテルのレストランで朝食をとり、夕食をロクでもないレストランですませたと思われる。そのようなレストランでうまいものを食せるのなら、ロンドン中のレストランは美食の殿堂である。
 
 考えてもみなさい、料理というのは少人数をもって可となし、100人、200人分をつくるとなると、それも10分、15分の短時間でつくるとなると、おいしい料理なんかできるわけがない。それをこともあろうに帰国して、洋行帰りと編集者におだてられたか、旅行記を書いてメシのタネにしようとしたか、愚にもつかない体験をおおまじめで上梓するとは。
 
 そういう人間の言を真に受けたか、だれかに吹き込まれたか、自らツアー客となりまずいものを食べてきたか、名古屋でOB会が開催されたおり、英国では朝食が一番おいしいそうですねと言った5学年下の女性がいる。
 
 その人としては話しかけてすぐ終わるのは気がひけるので、話をつなぐため英国の朝食を持ち出したのだが、料理人のため、自分自身のために語らねばならず、「どの国でも当たり外れの少ないのは家庭料理です、家庭料理がおいしいのは、少人数を対象に端正こめて料理するからでしょう」。
「大ホテル、大レストランの厨房で限られた数の料理人が、おおぜいの客に短時間でつくる料理がおいしいでしょうか。英国にも行くところへ行けば、小さな町にさえおいしい料理を手頃な料金で供するパブやレストランはあります。3室しかないB&Bの朝食はすこぶるつきのおいしさです、夕食もだしてくれれば感動的なおいしさでしょう」と話した。
 
 その人がどう反応したか、それはもう、あらためて申すまでもありません。
 
                   (未完)

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