Oct. 10,2017 Tue    ジャン・ロシュフォールの死
 
 思えば長いようで短い年月だった。「髪結の亭主」(1991年公開)でジャン・ロシュフォールのたぐいまれな演技をみて、いや、それはもはや演技ではない、微塵も演技を感じさせなかった。フランスの小さな町にああいう男がいて、いつのまにか美人でセクシーな髪結と一緒に暮らしている。映画とは思えない登場人物。
 
 相手役のアンナ・ガリエナもよかった。きわどいシーンはなくもない、それよりなにより、そこにいるだけでおとなの女の艶やかで楚々たる風情、かぐわしい色気が立ちのぼる。濃厚さを感じさせないところがいい。
アンナ・ガリエナが出ている映画はほかにもみた。が、髪結役におよぶべくもなく、あの役は生涯の当たり役である。ジャン・ロシュフォールとアンナ・ガリエナの実年齢は60歳と40歳。年齢差は銀幕をみればわかる。
 
 男と女は髪結の仕事場で休憩している。これといった会話はなく、一見フランス映画特有のアンニュイ(倦怠)がただようシーンである。だがふたりの表情をよく見ると、アンニュイではなく信頼しあう男女の気配を色濃く感じるのだ。性別年齢の差違にかかわらず意思疎通の大部分はことばを媒介とせず、表情と行動を通しておこなわれる。
 
 ラストシーン、支えるものをなくした男はアラブふうの音楽にあわせるかのようにデタラメに踊る。これがなんともいえない。さみしいとかかなしいとかではない、ことばであらわせない境地である。
支えるものを失った出演者がせりふなしで演じるという点に限定すればこれに類する日本映画・TVドラマはあった。が、目も表情も奇をてらう見せかけのもので、心の発露とかけ離れていた。目や表情はつくるものではない、できるものなのだ。
 
 希望があるから人間は十分に強くなれるのか。落胆したから過度に弱くなってしまうのか。やる気満々の若いアスリートは言うだろう、勝ちたいという強い気持ちを持ちつづけてきたから一番いい色のメダルを獲れました。そのような境地は容易にことばであらわせる。
ひるがえって、実人生にはヘマをしたから居場所を失うということもあるだろう。しかし人生やり直すにはヘマをしなければならない。やり直しには人間力とは別の何かが目をさまし、動き始めるのだ。
 
 ジャン・ロシュフォールにせりふはいらない。表情と目の動きだけで多くを表現する。かけがえのないものを失って喪失感を表現する場合、顔は苦痛にゆがむだろうか。ゆがむかもしれず涙するかもしれない。
三文芝居はそれでいい。だが髪結の亭主は、途方に暮れてなにをしていいのかわからず、かといって茫然自失というのでもなく、骨が凍っても愛した人を片時もわすれず、音楽にあわせる気もないのにいいかげんに踊る。そのさまはあたかも喜劇役者が中途半端な悲劇を演じるがごとし、可笑しみさえ感じるのだ。ジャン・ロシュフォールの真骨頂である。
 
  1990年代、ずいぶんとフランス映画をみた。札幌に出向いたときは札幌の小さな映画館で、大阪ではいまはもうないシネマ・ヴェリテ、国名小劇(くにめしょうげき)、三越劇場。米国映画が隆盛をきわめているころ、フランス発の無名映画は小さな宝石だった。
男優はミシェル・セロー、ダニエル・オートゥイユ、ヴァンサン・ランドン、ファブリス・ルキーニ。女優はイザベル・アジャーニ、ファニー・アルダン、ジュリエット・ビノシュ。彼らがどんな役で出てきて、どんな生き方をするのか。みる前からわくわくした。
 
 ジャン・ロシュフォールは別格だった。逃れようのない苦境に立たされたとき、魂でさえ魂の深淵をのぞくという。そうした深淵を表現できる役者である。風貌をひと目みればわかるだろう。
 
 ジャン・ロシュフォールと初めて出会ったのは、そのころ盛んに上映されていたフランス映画の人気俳優ジャン・ポール・ベルモンド主演「カトマンズの男」(1965)だった。記憶に間違いがなければ授業をさぼってみにいった。。しかしそのときはまったくの端役、香港あたりで稼ぐ間の抜けた殺し屋だったと思うけれど、顔も名前もよくおぼえていない。後年、髪結の亭主をみてフィルモグラフィーを調べた。
 
 髪結の亭主の後、日本で公開されたジャン・ロシュフォールの映画はぜんぶみた。とりわけ印象に残ったのは、「マルセルのお城」、「パリ空港の人々」、「メルシィ!人生」、「列車に乗った男」、「美しき人生の傷跡」、「ふたりのアトリエ」である。
 
 パリ空港の人々はシャルル・ド・ゴール空港に着いたはいいけれど、入国ビザを持っていないか、持っているとしても期限切れで空港内に不法滞在し、通路の鉢植を利用してハーブ類を栽培し、空港の敷地を走り回っているウサギを狩り、ハーブ類とともに空港レストランに売って生計を立てている人々の物語。到着ロビーから外へ出ようとしたジャン・ロシュフォールは、ひょんなことから彼らとの交流をはじめる。
 
 「メルシィ!人生」は避妊具製造会社の社長役。共演はダニエル・オートゥイユ。製造過程を見学にきた人たちの眼下でカップルが事におよぶ。むろんカップルは上の見学者の存在に気づいていない。社長は曰く言いがたい顔をして言う、「ちょうど製品の実演中でして」。館内の反応はいうまでもない、魔法の粉をふりかけられた。
 
 「列車に乗った男」(2004)については「幕間」の「Coffee Break」2004年6月29日に記したので繰りかえさない。
「美しき人生の傷跡」ではジャン・ロシュフォールの出るシーンは短い。病院の敷地の高台にいる女性の背後から声をかける。30秒の会話、車イスの後ろ姿と表情に男の人生の深さが如実にあらわれ、瞬時に女性を癒やし、映画の顛末を決める。
 
 ジャン・ロシュフォールは60歳にして花開き、70歳で実がなり、80歳をすぎて円熟の極地に達した。60歳から80数歳までは魔法使いの人生である。
 
 「髪結の亭主」の髪結は考えたにちがいない。自分がその年になったら男は何歳になっているのだろう。おそらくこの世の人ではないだろう。何をしてもらうということもなく、ひたすら純朴で寛容な人、一緒にいるだけで満ち足りた気分になる人がいなくなったとき、ともに過ごした居場所になんの意味があるのか、どう生きていけばいいのか。
 
 そう考えるに至ったのは髪結の人生観と無縁ではない。現在より将来を見てしまうという性質がそなわっており、しかも心象風景に映る未来は必ずしも明るいものとはいえず、老化、疾病など得体のしれないものに取りつかれ、不安が浮かんでは消え、消えては浮かぶ日々をすごし、生きることに疲れてしまったのだ。
 
 髪結の心は決まった。いなくなる前にいなくなるしかない。それ以外の選択肢は考えられなかった。「髪結の亭主」は映画史上にその名をとどめる不朽の名作である。

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