Oct. 05,2017 Thu    旅、そして旅(2)
 
 日本と海外の相違点は、ことばのほかにあいさつである。知らぬ者同士があいさつを交わすことはまずない。日本の都市部を歩いていて通りすがりに「こんにちは」と言えば奇異な目で見るか、変人あつかいされるだろう。
英国ならヨークとかチェスターなどの小都市を歩くと、なにがしかのあいさつを交わす。声を発さずとも目であいさつする。フットパスを歩いていようものならあいさつをしないほうが変人。地元、旅行者の別なく声を出す。ハイキング、山登りを経験している人ならおなじみだ。
 
 英国の小さな町を頻繁に旅するようになり、道ですれちがった見知らぬ者があいさつを交わす心地よさが習い性になった。一日に30回以上「おはよう」、「こんにちは」を言い、そのつどほほえんでいると、不機嫌やストレスは居づらくなって逃げてゆく。
 
 南西フランスのミディピレネーを初めて旅した1999年秋、日中すれちがった人たち、地元住民でも旅行者でもかまわない、相手が人間なら必ず「ボンジュール」と言った。すると必ずといっていいほどボンジュールと返ってきた。
インフォメーション(観光案内所)、書店、小さなレストランなどの場合、向こうが先にボンジュールと言う。先を越される快さはあるけれど、なるべくそうならないように先を越す。小さな村で2度以上あいさつすればもう顔なじみ。
 
 1972年、アフガニスタンが王国だった古きよき昔、イスラム教徒のあいさつ「アッサラーム・アレイコム」は異国の旅人も使った。「アレイコム・アッサラーム」と返すのだが、旅の途上で省略形の「アッサラーム」とだけ言うようになった。胸のなかでアッサラームと唱えればいまなお彼らの顔が浮かぶ。いいようのないほどやさしく、深く、味のある顔が。
 
 なぜ旅好きかといえば、風景や異文化などとの出会いのみならず、他人とのささやかな交流が快適で喜ばしいからだ。が、煩わしい人間関係がイヤで旅に出たのに冗談じゃない、時間とカネを費やすのだから好きにしたいという人もいる。それはそれ、好きにするなら好きにすべきだろう。
大都会に住み、都会の孤独とウソぶいている人にとって、あいさつはおおむね方便だ。あいさつくらいしようと思いつつ互いの心に垣根をつくる。彼我の垣根は越えにくい。垣根をつくって難民化する。下町の一部を除いて都会は垣根製造業者の集まりである。
 
 旅先で快適な気分になっても所詮一過性、帰国したら元の木阿弥、ということもないではないが、旅が意味をもつのは、一過性であっても豊かな気持ちにさせてくれるからだ。そしてその気持ちは次の旅を生む。
英国の小さな町、ミディピレネーの村を旅するのは、行けば必ず郷愁と追懐を呼びおこす風景があることと、昔会ったことのあるような人々がいて、短い時間であっても交流できるからだ。刹那でかまわない、人生は刹那である。
 
 2017年盛夏、英国と南西フランス・ミディピレネーの両方を旅するのは何年ぶりだろう。英国へはロンドンを経由せずサウサンプトン、ブリストル、バーミンガム、マンチェスター、エディンバラなどへの到着便(都市によってエアフランス、ルフトハンザ、KLM)を利用する。経由地はパリ、フランクフルト、アムステルダム。ロンドンは1969年8月以来行っていない。
 
 ミディピレネーはしかたなくパリ経由。トゥールーズへの乗り継ぎ便はエアフランスが最多。シャルル・ドゴールでの乗り継ぎ時間も短い。ミディピレネーの起点はトゥールーズである。トゥールーズのキャピトール広場にあるホテルに荷物を預け、必要なものだけ車、または列車に積んで移動する。
日数がかさむとき日本からの荷物は2通りに分け(一個はイングランドへ)、大きめのホテルに国際宅配便で送る。腰に持病をかかえているので、できるだけ負担をかけないよう留意する。そういう旅を腰痛のなかった1996年以来続けている。帰国時も宅配便を利用。
 
 「旅、そして旅」をこの年になるまで続けられたのは、持病をえる前、50歳をすぎてすでに体力に自信がなく、したがって重い荷物を運ぶのをパスし、ゆるやかな日程を組み、一日の移動距離は短く、一箇所の宿泊日数は長く、一切のムリを回避したからで、旅の大前提は快適さである。
 
 いつのころからか、たぶん1999年あたりから英国の小さな町を再訪する旅が多くなった。ときおりミディピレネーの村々の再訪もあったけれど英国ほどではない。21世紀、私の百年戦争は英国に軍配が上がったのだ。なに、英語とフランス語では修得年数も使用頻度も圧倒的に英語、車にしても英国の左側通行のほうが楽だ。
空気もおいしいし、人も車も少ない。40分ほどレンタカーを走らせても、対向車とすれちがわないこともしばしば、道は変化に富み、景色もめまぐるしくない程度に次々変化する。ドライブとウォーキングの愉しさを重視するならそこしかない。
 
 英国ではデヴォン、コーンウォール、ヨークシャー、サセックスなどが再訪地の上位となり、デヴォン、ウェールズは3度、ヨークシャー、サセックスは4度、スコットランド、特にハイランド再訪も4度におよんだ。魅力的な女性なら毎日でも逢いたいと思うし、回数を重ねるごとになじみも深くなる。
今回初めて旅したのはシュロップシャー。英国カントリーサイド、ミディピレネーに魅了され、それ以外の国や町に行く気がしなくなった。
 
 子どものころ暮らしていた家に隣接した畑があり、祖父がトマト、キウリなどの野菜、イチジク、ビワなどの果物、ダリア、カンナ、タチアオイなどの花を栽培していた。ニワトリ20羽を飼うニワトリ小屋もあった。朝、メンドリが生んだタマゴを取りにいくのが私の仕事で、夏休みにはニワトリの散歩も受けもった。
 
 ニワトリを散歩させようとしたとき祖母が言った。「ニワトリにあいさつしなさい。ニワトリの気分もよくなるから」と。ところがどうして、よくなるどころか数羽は小屋から出ようとしない、出ても歩こうとしない、羽をばたつかせて時間稼ぎする、棒でつつくと悲鳴をあげる、鳴きながら羽ばたき、勢いよくジャンプする。羽が素足にあたり、痛さに子どもは悲鳴をあげる。
 
 てんやわんやの散歩だった。けれども多数派の「散策を好むニワトリ」は満足気に歩き、小屋にもどるとき、80坪しかない畑をうらめしそうに見ていた。ニワトリは必ずしも気分に支配されることなく快活な生活を送っていた。
「おはよう」のことばが散歩のはじまりで、夏休み後半になると大多数のニワトリはそれを合図に嬉々として小屋から出てきたのである。歩くことによって気分爽快となると思うが、おはようのあいさつに条件反射して、歩く前に気分がよくなるのかもしれないと子どもは気づいた。60年前のことである。
 
 明治17年生まれの祖父母は、私が小学校4年生のときに祖母が亡くなり、以来畑仕事に身が入らなくなった祖父は3年後に亡くなった。
旅は記憶の彼方に消え去ったはずの過去をよみがえらせる。だからなおいっそう英国カントリーサイドの小さな町、ミディピレネーの村に足が向く。そこへ行けば必ず少年期、青年期を想起させる風景や懐かしい人たちに会えるのだ。
                    
                     (未完)

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