Mar. 05,2006 Sun    ふたたび古美研OG
 
 いまも懐かしいと思う同世代の古美研(早稲田大学古美術研究会)OGは数えるほどしかいない。同期(昭和43年入学)では庭園班のSKさん、KMさん。彫刻班のKMさん、OMさん。石彫班のYさん、OMさん。一年下(44年入学)では庭園班のTMさん、NHさんなど。
庭園班SKさんとKMさんは田園調布雙葉時代からの朋友。彫刻班OMさんは一女(さいたま市となる前の浦和の有名女子高)の才媛。懐かしい女性たちにOMさんが二人、KMさんが三人いる。大村真理子、大場光枝、金井美朝子、木村百代、熊本まさみ(敬称略)。
 
 Web上に「庭園班OB会」を起ちあげたのは、懐かしさが昂じてという理由のほかに、可能なかぎり思い出を提示し共有したいからであり、そうであるなら、忘却のまにまにいる私がぼんやり追想しているだけでは多くのことを思い出しようもなく、事と次第によっては記憶力のたしかな仲間に連絡して教えを請うほかない。
ところがそれが難しい。先日も、昭和44年の新入生歓迎旅行の行く先を後輩に訊いたらば、鎌倉ではないかという人もいるし、おぼえてはいても迂闊に返事して、また何かのことで訊かれて返事するのも億劫ゆえ、知らぬ顔の半兵衛をきめこむ後輩もいる。記憶の出し惜しみなどしないで提出可能な記憶は提出してください。
 
 昭和44年春の新入生歓迎旅行については、同期の絵画班チーフ藤咲博久と夜更けて風呂に入り、湯がぬるかったことしかおぼえていない。藤咲に「寒そうな顔」といわれたものである。その言は正鵠を射ており、旅行から帰ったら風邪をひいた。深夜、風呂に入れたから、どこかの温泉であるとは思うけれど記憶が消えている。
 
 この一文を記しているときは思い出せなかったのですが、翌3月6日突然思い出しました。いつだったか南座で富十郎が夜叉王を演った歌舞伎狂言は「修善寺物語」。
南座でみたとき、新入生歓迎旅行で修善寺に行き、風呂に入って風邪をひいたことを思い出したのに、湯がぬるかったことだけが記憶に残り目的地を忘れていました。修善寺物語は夜叉王のつくる面が源頼家の死を予言するという岡本綺堂の傑作。記憶の奥で頼家や愛妾桂の名が忽然と浮かんできても、修善寺という地名が出てこずモヤモヤしていました。
 
 35年以上前のことだから多少の記憶の錯綜はしかたない。後輩のひとりは昭和44年初夏、庭園班研修・都内庭園巡りの場所について、池を背景に皆が写っている大判の記念写真を見つつ「ホリカワ庭園」だと思いますといっていた。私は参加しておらず、写真も見ていないので場所の特定はできない。
 
 ホリカワ?ありそうな名である。平安時代末期、待賢門院璋子さんが登場したときにそんな名の天皇がおいでになりました。判然とせず、当時のチーフHKに問い合わせたら、「堀切菖蒲園」か「旧古河庭園」かもしれないという。堀切と古河がまざって堀河となったのだろうか。そんな器用な混淆のできる人はそう多くはない。
いや、もしかしたら彼は「フルカワ」庭園といっていたのに、耳のわるい私が「ホリカワ」と聞いたのかもしれません。事の次第というのは往々にしてそういう顛末になることもある。
 
 私はHK同様(失った理由は違うと思います)、古美研時代の写真が行方不明で、将来も見つかる可能性はないから、古い写真をお持ちの方はアルバムからはがしてでも、「嵐心の会」の集いに持参していただければありがたいです。
 
 
 古美研OGの話であるが、上記の方々が同性同士で談笑するすがたを見たのはほとんどなく、異性と連れだって歩いているすがたをますらお派出夫は目撃した。というと、私はしょっちゅうウロウロしていたように誤解されるだろうけれど、博物館や美術館をウロウロしていたのは私ではなく、むしろ彼らなのである。
私は、関東古美術史蹟連盟の幹事に任ぜられた都合と職務上、他校(大妻、ポン女、トン女、共立、跡見など)の女性を引率して東博とか大倉集古館、ブリジストン美術館、根津美術館などを見学する機会が多かっただけで、そういう日のそういう時間に彼らと遭遇したにすぎない。
 
 古美研OGの多くが現役時代、異性との交流が多かったのはおそらく、そのほうが触発され得るものも多く、また、異性を直に学習できるからであると思われる。実らぬ交流であっても、そういう時間を過ごしたことは事実であり、いまとなっては、若いときにしか経験しえないホロ苦い思い出。
苦かろうが甘かろうが、ハツラツとした若さは二度と戻ってこない。全員が清冽な水だったのだ、経験できたことを是としなければ浮かぶ瀬がない。老いて交流するのは茶飲み友だち、何の刺激にもならない。苦かったからといって何を悔いることがあろう、何を拘泥することがあろう、何を恨むことがあろう。いまやりなさいといわれても経験できようはずもない。経験できたのは若さゆえであり、甘さのなかにではなく、苦さのなかに私たちの生の証しがあったにちがいないのだ。
 
 苦さに不快感をおぼえたのも、他者に嫉妬したのも、欲望があったからである。性的欲望もあったかもしれない。そして嫉妬と自省の念が綯い交ぜになって長い歳月が経過したために実体がぼやけてしまっているのだ。欲望の減退とともに嫉妬も消滅するが、自省の念は募る。
後味のわるい思いが残っているとすれば、見えない相手に嫉妬しているか、未練が名残雪のようにうずたかく積もっているか、相手をゆるさないことで結果的に苦さを共有しつづけたいと思っているか、思いを寄せたことを至上命題として自分自身を庇護しているか、往時を顧みて自分をゆるせないかであってみれば、女は灰になるまで女なのかもしれない。
 
 いい役者は観衆が自らの内面をみつめるための一助をなすという。
思い出すのは、古美研OGのキラキラかがやいている姿と、場当たり的にお茶を濁したらヤンワリたしなめられた、あの屈託のない笑顔だけである。HJが掲示板に書いていた、「思い出すのは女性の名前ばかり」なりと。

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