Mar. 29,2016 Tue    女子カーリング
 
 きょう2016年3月29日、カナダからカーリング女子が銀メダルを携えて帰国した。2006年2月20日「きょうのトピック2」の「カーリング」に女子カーリングについて記したのは10年前。ウィンター・スポーツの花といえば女子フィギアスケートで、その中心には浅田真央がいた。それでも女子カーリングに心を奪われ、テレビ放送があれば可能なかぎり見つづけたのは、主だった選手が常呂町出身であるからだ。
 
 今回カナダのスウィフトカレントでおこなわれた世界女子カーリング選手権2016に出場したロコ・ソラーレ(LS北見)の選手のうち、スキップの藤澤五月を除く4人、リードの吉田夕梨花、セカンドの鈴木夕湖[ゆうみ]、サードの吉田知那美(癒やし系)、リザーブの本橋麻里(癒やし系)は常呂で生まれた(2006年3月常呂町は北見市と合併、北見市常呂町となる)。
 
 藤澤五月の出身は北見市美山町、常呂町からそう遠くはない。昨年4月まで中部電力に在籍しロコ・ソラーレに移籍した。2016年2月、青森でおこなわれた日本選手権で初めて見たが、見た瞬間、顔に負けず嫌いと書いてあった。
強気な発言が多く、その負けん気はチーム随一。現在リザーブに回っている(昨年10月の出産後出場せず)本橋麻里と好対照。性格円満の本橋麻里はカナダ大会に出場した4選手の誰よりもリーダーに向いている。
 
 ただ今回の好成績にかぎっていえば藤澤五月の貢献度はきわめて高い。スイスとの決勝戦最後の10エンドで手痛いミスをしたけれど、銀メダルへの牽引役をサードの吉田知那美とともに果たしたことは確かだ。ロコ・ソラーレの良好なチームワークと藤澤五月の負けん気が快進撃をもたらしたといえるだろう。
世界選手権という大舞台は本橋麻里、吉田知那美(両名はオリンピック出場経験もある)のほかに経験したことはなく、まして藤澤は移籍後1年未満、持ち前の性格に拍車がかかり、従来のスキップ本橋の代わりに目一杯成績を上げたいと張り切るのはむしろ当然のことだ。、
 
 藤澤五月、吉田知那美、鈴木夕湖は共に1991年生まれで、吉田夕梨花(知那美の妹)は1993年生まれ、本橋麻里は1986年6月10日生まれ。マリリンの愛称で知られた本橋麻里が2006年トリノ冬季オリンピックにセカンドとして出場したのは19歳、2010年のバンクーバー五輪にもセカンドとして出場している。
 
 2016年カナダ大会において日本は予選を9勝2敗の首位タイで通過した。同率首位は天敵スイス。カーリング女子世界ランキング6位の天敵中国が不参加ということもあって、日本チームは戦前下馬評(小生の予想)で準決勝に進む可能性があった。天敵の理由としては予選、プレイオフ、決勝とスイスに3度負けたから。
WBCのイチローの言によると、「同じ相手(韓国)に三度負けることは許されない」のだが、これまでの戦いで日本はスイス、中国に対して惨敗の山を築いている。強豪カナダは別格で、日本は相手にさえしてもらえなかった。
 
 宿敵といえばスコットランド。とりわけ天才イブ・ミュアヘッドは宿敵中の宿敵である。本橋より4歳年下のイブ・ミュアヘッドは2008年のジュニア選手権においてスキップをつとめ、決勝で対戦したスウェーデンを12対3で破り優勝、2009年バンクーバーの決勝でもスキップで出場、8対6でカナダを蹴ちらしている。
2010年バンクーバー五輪では弱冠19歳で英国チームのスキップとして日本と対戦したが、スキップ目黒萌絵、サード近江谷杏菜、セカンド本橋麻里、リード石崎琴美の所属するチーム青森が辛勝。だが、強烈な印象を残したのは勝者ではなく敗者のイブ・ミュアヘッドだった。身長173センチ、スタイル抜群の凜然たる美形がテレビ画面に映えないわけがない。
 
 2013年、ラトビアのリガで開催された世界選手権でイブ・ミュアヘッドを擁するスコットランドは決勝でスウェーデンを破り優勝している。2014年〜2016年はスイスの3連覇、2014と2015はカナダが準優勝、ロシアは2014〜2016と3大会連続の3位である。
 
 今回の世界選手権時、世界ランキング1位はカナダ、2位スイス、3位スウェーデン、4位スコットランド、5位ロシア、日本は9位だった。ところが、日本はカナダを11対2、スウェーデンを8対4、スコットランドを10対4、ロシアを7対5で破っている。
一方スイスは、カナダに7対4、ロシアに6対3で敗れている。戦績からみれば日本有利。日本が負けたのはデンマークとスイスだが、デンマーク戦はロコ・ソラーレの選手が「アイスの状態を読めなかった」と言っている。
 
 カーリングはストーンがハウス(大中小の円)に何個入るかではなく、ハウス(円)の中心近くに何個ストーンを集めるか競う。敵のストーンが味方のストーンより円の中心に近ければ味方は無得点。ハウス内に中心近くのストーンが何個残っているかが問題なのだ。その数が得点となる。いかにして中心付近の敵のストーンをはじき飛ばし、代わりに味方のストーンを中心近くに残すか。
 
 ゲームは10回で争われ(1エンドから10エンド)、各エンドで勝ったチーム(負けたチームは0点)は次回のエンドで先攻に回る。むろん後攻のほうが有利なので、各チームは後攻のときに大量点を稼ぐよう作戦を立てる。後攻で2点以上点数を稼げないときはあえて0対0(ドロー)にする。そうすれば次回も後攻になるからだ。それはまるで幾つかの音符を飛ばして演奏するヴァイオリニストのようだ。
 
 ここはというときにサードとスキップのストーンが乱れると敵に点数を稼がれてしまう。チームが一丸となり、勝負どころでいかに効率よく点数を稼ぐかを競うスポーツがカーリングなのだ。
念力が通用するとはとうてい思えないけれど、自分がストーンを滑らせるとき以外は常にハウス内もしくはハウス周辺にいるスキップが、セカンドやサードのストーンが好位置にくるよう声高になったり、あたかも念力をかけるかのような気配があったりしておもしろい。イブ・ミュアヘッドの低いうなり声が耳に残る。
 
 思い起こせばカーリング女子選手の離合集散はすさまじかった。常呂出身の1978年生まれで、女子カーリングを世に知らしめたといってもいい名スキップ小笠原歩(旧姓小野寺)、名サード船山弓枝(旧姓林)は2002年青森県に移住、翌年チーム青森を結成、2005年4月には常呂ジュニアから本橋麻里も合流し、トリノ五輪日本代表を賭けてチーム長野ほかとの熾烈な戦いを勝ち抜き五輪代表を射止めた。
 
トリノ五輪での小笠原歩は敵のストーン2個を同時にハウスの外へはじき飛ばし(ダブルテイクアウト)、自分のストーンをハウスに残すショットを何度も成功させる。
トリノ五輪後の2006年3月、小笠原と船山は休養宣言しチーム青森を離脱、小笠原は2007年に結婚、船山はおそらく2008年に結婚したものと思われる。その後2人は表舞台から姿を消した。
 
 2人が現役復帰したのは2010年11月、ともに北海道銀行がスポンサーとなっての復帰だった。そこにセカンドあるいはサード(サードの船山がりザーブにまわったとき)として加わったのが吉田知那美である。彼女たちが競技に出てきたのは2011年1月で、2年後の2013年にソチ五輪出場を賭け日本代表決定戦で中部電力を破りソチ五輪最終予選に出場した。
 
 最終予選前半はいい具合に星を稼いだが、中国に大敗しリズムを崩し、プレーオフでも再度中国に敗れた。が、最後の土壇場でノルウェーに勝ち、3回目の五輪出場を決めた。小笠原歩はソチ五輪(2014年2月)の開催式旗手に選ばれている。そして小笠原と船山は常呂の中学校の同級生、本橋麻里も同じ中学校の後輩である。
 
 小笠原歩の誘いにより北海道銀行のチームメイトとなった吉田知那美であるが、セカンド小野寺佳歩(1991年生まれ)がソチ五輪開幕直前インフルエンザにかかり代役をつとめる。思いがけない進行にもかかわらず吉田知那美は、いいところで本領を発揮したサード吉村沙也香(1992年生まれ)&スキップ小笠原歩の前にセカンドを担い、日本チーム5位入賞に貢献した。吉村沙也香も常呂出身だ。
 
 吉田知那美はソチ五輪後まもない2014年3月、北海道銀行を退団した。理由は何かわからない。五輪の代役でチームに寄与したが結局は代役にすぎず居場所がなかったのか、その3ヶ月後、吉田知那美はコンビニにいた。コンビニでパートタイマーとして働いていたのだ。NHKのテレビカメラが彼女を追っている。
そういうとき救世主があらわれた。本橋麻里である。本橋はロコ・ソラーレ(北見)には吉田が必要と説き伏せた。それは勧誘というよりまさに説得だった。吉田知那美は、「カーリングをやめようと思ったこともあります。自分を救ってくれたのは本橋さんです」とテレビ放送で述べている。目にいっぱい真珠のような涙を浮かべて。
 
 2018年平昌冬季五輪に出場するためには日本代表選手権を勝ち抜かねばならない。ロコ・ソラーレの宿敵は北海道銀行だ。北海道銀行は当然のごとくチーム強化をはかるだろう。ロコ・ソラーレは競技の外でも真剣勝負を迫られるかもしれない。道銀の狙いは藤澤か本橋か。道銀のほかにも触手をのばす企業が出てくるかもしれない。
 
 本橋がロコ・ソラーレを離脱すれば結束力にほころびが生じ、藤澤の離脱は戦力低下を余儀なくされる。スキップの本橋の気持ちは複雑である。世界選手権不出場でも仲間の健闘がきわだって銀メダルを確保した。本橋復帰後のスキップは誰にゆだねられるのか。サードは誰か。それとも離合集散の荒波に飲み込まれるのだろうか。
 
 10年間カーリング女子の公私を垣間みてきた者にとって今後の展開を読むのは簡単なようで難しい。そういう事象も目を離せないけれど、ロコ・ソラーレの仲間たち、鈴木夕湖は身長145センチしかない。吉田夕梨花は152センチ、吉田知那美は157センチ、藤澤五月は156センチ、本橋麻里だけが160センチ、いまの若い女性にしては小柄である。大柄な外国選手と較べるとその差は一目瞭然だ。しかしアイスの上では小柄と感じさせず、いわば小さな巨人である。
 
 そういう女性たちが体格差をものともせず互角以上の戦いに持ち込む。カーリングには技術と頭脳、特にアイスを読むことと、各エンド中盤以降のストーンの位置確保、きわどい勝負に打ち勝つ作戦など、考えなければならないことがいっぱいある。とりわけサードとスキップは、味方がピンチに陥ったとき急場をしのぐ人であらねばならない。
 
 常呂町は国道238号線を紋別市から東南東へ約75キロ、ホタテ貝の養殖で知られるサロマ湖と初秋の真っ赤なサンゴ草の名所・能取湖のあいだにある。能取湖のすぐ東は網走だ。
本州から来た客人を知床に案内するとき必ず通るのがサロマ湖&能取湖、常呂であり、何度行ったかおぼえていないほど行った。常呂の海辺から見たオホーツク海のえもいわれぬ美しさ。
 
 そして紋別は第二の故郷といってもよく、昭和50年から平成5年までの18年間、少なくとも1年に2回、多いときは年に7回行った。漁組や中央市場、あるいは市議会などに知り合いがいて、行くたびに新鮮なズワイガニや毛ガニ、ホタテ貝ほかの魚介類の差し入れがあった。2、3ヶ月行けないときは漁船の大鍋で茹でて瞬間冷凍したカニや水冷凍した殻付ホタテ貝を送ってくれた。だからカニやホタテは買ったことがない。
 
 紋別には忘れられない思い出がある。その女の子は2歳6ヶ月のときから私たち夫婦と、特に家内と遊び、小学3年生の冬休みにその子が京阪神へ転居、それから2年後宝塚市に引っ越し、中学高校と宝塚市内の公立学校で学んだ後、同志社大学へ入学、卒業した。
ギタリストの村治佳織によく似ており、本橋麻里が活躍するようになったころ、痩せる前の本橋がやや丸顔だったころ、大学の友人からマリリンに似ていると言われたようである。それはたぶん村治佳織を知らなかったからだろう。その女の子の背丈も鈴木夕湖ほどである。
 
 会わなくなって長い時間が経過した。その子もすでに30代前半、2児の母になった。「書き句け庫」2011年10月20日の「夢窓国師とチエちゃん」、2016年2月1日の「お時間でござる」に登場するのは同じ女の子だ。
テレビで女子カーリングをみるたびに、本橋麻里を見るたびに、小柄で目の大きい女子選手を見るたびにその子を思い出す。そして思うのだ、逢わずに愛することの難しさを。
 
 

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