Feb. 19,2016 Fri    高田馬場 居酒屋
 
 2016年2月19日夕刻、JR高田馬場駅近くの居酒屋に古美研庭園班OB3人が集まった。横浜のKY君、石神井のMY君、町田のHH君で、声をかけたのはKY君。自宅でコーヒーブレイクをしていた午後6時ごろ、携帯電話の発信音が高らかに鳴った。
携帯電話にKY君の名が表示され、最初にKY君と短く話し(「高田馬場の居酒屋にいます。MとH君と一緒です。替わります」)、すぐMY君にかわった。「ご無沙汰しています」とMY君は言ったが、ついこのあいだ電話で話したばかりじゃなかったろうか(1月20日)。
 
 「外に飲みに行くのは久しぶりです。まして複数で飲みにきたのはいつぶりだったかなぁ」、「高田馬場駅ガード下の居酒屋、会社勤めをはじめたころ、よく飲みにきた店、いまでもありましたよ」(3人が入った居酒屋とは別のところ)、「Iさんがパチンコやってた店はもうなかったけど」(パチンコしてたのは小生ではなくHK)、「Kは日本酒飲んでます、その前は焼酎。居酒屋は食べるものがなくってねぇ」(横からK君が「一番呑んでるのはMです」と言う)。
 
 パチンコはHKが京都で浪人中、孤独をまぎらすための方便であり、それが特技になったかならなかったかというほどのもので、ギャンブルに向いていないHKの暇つぶしのような気がした。西門から高田馬場までの道中、浪人時代を思い出してパチンコ店に入ったこともあったと記憶している。
MY君の浪人時代の話を聞いたことはなくパチンコとの関係は不明。
 
 KY君が「H君が退屈そうにしているので電話かわります」と言う。退屈そうにはしていないH君がご指名だから出るという感じで、「ご無沙汰してます。久しぶりの高田馬場です。井上さんお元気そうですね。近いうちにお会いするのを楽しみにしています」と言う。いつだったかMY君と電話で話したとき、「そう言ってくれる(MY君は後輩から慕われている)のはIさんだけです」とこたえたから、「そんなことはないよ、口には出さないけどH君もそう思っている」と言ったことがある。
 
 飲み始めからどのくらい時間が経過したのかわからないが、MY君の話し方からすでに出来上がっているように思えた。「あれから40年以上たちました。近頃は忘れることが多くて」と言っているわりにおぼえているのでH君の件は忘れていないだろう。過日、MY君のお母さんが97歳で亡くなられたおりに「オヤジは48、おふくろは71だった」(私の両親の亡くなった年齢)と言ったらば、「だったらIさんもそろそろじゃないですか」。
 
 ふだんはまだ若いと思っていても、旧友と会うと束の間学生時代に逆戻りしたような気分になるのと同時に老いを感じる。「まだ老いぼれてはいないけど、老いぼれですね」とMY君は言った。なに、きこしめして日々の感得を口にする余裕ができたのだろう。
学館で会っていたころ、MY君とKY君はつっこみとボケだった。漫才なら片方がつっこみで相方がボケと決まっているけれど、両君は双方がそれらを兼ねた。学生街でたびたび昼食を共にした私は彼らの掛け合いを聞く役回り。と記すと、とんでもない、自分たちが聞き役だったと彼らは言うだろう。話し手は話し手たるを忘れ、聞き手は聞き手たるを忘れず。
 
 KY君に交替したので、「しばらく会わないうちにM君、老いぼれてないか」と聞いたら、「スマホで証拠写真を撮りました。M君の上洛は不明としても、3月に会ったら見てください」と笑って言う。「病み上がり2名と居酒屋でというのもヘンな感じ」とつぶやくKY君。MY君とHH君は重篤な病にかかり、術後2年ほどしかたっていなかった。
 
 居酒屋からの電話は続く。40数年前と現在とがないまぜになった会話の途中、突然電話が切れた。その後まもなく電話はかかってきて、そういう軽口を叩いていた学生時代そのままにMY君は「Kが電話を切ってしまって」と言った。するとKY君が電話口に出て、「ガラ系だと切れたりしないのですが、スマートフォンはどこかのボタンを押すと切れることもあって。Mがボタン押したんです」と言う。
 
 「うらやましいよ、高田馬場の居酒屋にいるなんて。3人は近場にいるから」と言った。すると「近場じゃないですよ、横浜はけっこう遠いです。わっちは近いけど」とMY君はこたえた。
「このあたりの中華料理屋、100円の焼そばが雀荘で出前を取ると110円になり、寿司は350円の握りが380円でした」とMY君が続ける。そういう話を聞くと、KY君の「井上さんはわれわれ(KY&MY君)より40円か50円高いランチを食べていた」という文言を思い出す。
 
 KY君がMY君に聞こえるように言う。「ホテル(京都)はMY君の分も井上さんが手配済みだし、仙洞御所もMY君の分を申し込んでいるし。もう一押し、もう二押し」。MY君の体調に問題があるのをわかっていてKY君は言っている。それはなんとかなるのではと言外で発破をかけている。春には春の装いがあるのだ。
思い返せば両君とも意外性に富む行動が多かった。一筋縄ではいかないというか、穿った言い方をすれば、やさしさと気配りの外側にひねくれ粉をまぶしていた。それがいい味を醸し出し、事にあたっても、押すと思えば引き、引くとみせて押した。そうやって遊んで反応を見ようとする性癖はいまも健在。
 
 電話後の歓談の内容を知りたいところである。聞き役のHH君も楽しかったにちがいない。集まった場所もHH君に声をかけたことも大正解。第2回嵐心の会終了後、仲間に送った写真の添え書きに「過ぎし日々の記憶を呼び起こして下さった参加者の皆様にも感謝するばかりです」(書き句け庫 2006.6.15「交換ノート」)と書き記したKY君。
高田馬場はMY君の最寄り駅(当時)から西武新宿線の電車(各駅停車)を利用して16分。おい、それとは会えない面々が冬の夕暮れ高田馬場の居酒屋で。
 
 
   ※3人は午後4時に高田馬場駅前で待ち合わせ、早稲田通北の居酒屋(午後4時より営業)に入り、8時過ぎまでの約4時間いたそうです※

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