Jan. 15,2016 Fri    おやすみなさいを言いたくて

 
 2014年12月中旬から2015年1月中旬、日本で公開されたアイルランド+ノルウェー+スウェーデン合作映画「おやすみなさいを言いたくて」の原題は「A Thousand Times Good Night」。2016年1月6日、ようやくWOWOWにおりてきた。戦場カメラマン役ジュリエット・ビノシュが出色。
物語はカーブル(カブールと表記するのが一般的だが、アフガニスタンを旅した1972年ごろはカーブルだった)の墓場から始まる。若い女性が埋葬されるシーンで、ひとくれの土が墓穴に横たわる女性にばらまかれるのだが、一呼吸あって女性は起き上がる。
 
 44年前のカーブルの町は乾燥して埃っぽかった。町の周囲にそびえる丘の土が風にはこばれて舞う。風が吹いていなければなんということはないけれど、風のあるときはそういう状態だった。昭和20年代の日本の都市部を想起すればわかるかもしれない。
女性は生前葬をしていたのだ。埋葬のまねごとを終えた女性は密室で爆薬を身体に巻きつけ、家族に別れを告げ車に乗る。それを逐一撮りつづけるカメラマンのようすはドキュメンタリータッチである。キャノンEOS5Dシリーズ2台に望遠ズームの白レンズと24−105mmズームレンズを装着。
 
 彼女の住まいはアイルランドの小高い村である。みるからに空気も水もおいしそうだ。家には配偶者と女の子ふたりがいる(画像右は長女 左はジュリエット・ビノシュ)。彼らは常に不安と同居している。戦場から無事にもどのか、もどってもまた戦場に行くのではないか、強迫観念にとらわれ不安は消えない。しかし母と共にケニア・スーダン国境の難民キャンプ(上の画像)を訪ねた長女は、母が戦場カメラマンを続ける理由を知る。
 
 家庭を営む戦場カメラマンはともすれば自分しか愛せない人間として描かれる。そういう人間として描かざるをえないのは、危険を顧みず、家族との時間を犠牲にしても職業を全うするほかないからだ。夫(大学の生物学教授)や娘の立場からみればジュリエット・ビノシュは許しがたい妻・母である。それでも子は母を愛さずにいられない。
帰宅しても仕事に追われ、自分と向き合う時間も余裕もない。そういうときの心情をアイルランドの風景が代役する。その美しさ、そのかなしさ。夫の心はいまにもこわれそうだ。戦場に向かう抑えがたい気持ちを抑えるのが愛ではないのか。長女がケニア国境の難民キャンプで危険な目にあったことを知り夫は爆発する。
 
 難民キャンプのテントでは虫除けのカヤのなかで寝る。一人用のカヤを通して互いに会話する母子。母は「いつか、あなたがおとなになって自分と向き合ったとき、自分でも抑えられないものがあると気づく」と娘に言う。むろん娘には何のことかわからない。
カヤ越しに少女の顔が映し出される。ベール越しにみる顔はふだんの顔より魅惑的で、えもいわれぬ美しさだ。長女役ローリン・キャニーは無事に育てば将来が楽しみなアイルランドの新人女優である。
 
 ジュリエット・ビノシュ(1964−)についてはいまさらという感じはするが、2004年以降映画にほとんど出なくなった名女優イザベル・アジャーニの代わりにフランス映画界を背負って立つ女優である。
「ポンヌフの恋人」(1991)はビノシュの映画人生前半の当たり役。演技力を買われて翌年は英国人でもないのに「嵐が丘」のキャシー&キャサリン、翌々年は「ダメージ」でジェレミー・アイアンズと共演、翌々々年は名作「トリコロール 青の愛」に主演し新境地を拓いた。戦場カメラマンを演じるうまさはビノシュのカメラ好きにもよるだろう。
 
 2014年の秀作「リスボンに誘われて」で、本の著者と束の間愛を交わす女性(メラニー・ロラン)の30数年後にレナ・オリンではなくジュリエット・ビノシュを配せば完璧であった。そのことは2014年9月18日「書き句け庫・リスボンに誘われて」に記したのでくりかえさない。「青の愛」以降ビノシュはつまらない作品に出たこともあった、「トスカーナの贋作」(2010)で息を吹きかえし本領を発揮するまでは。
 
 生きることに意味があるとすれば愛することに、あるいは愛されることにだろう。煎じ詰めれば愛すること愛されることが唯一の意味かもしれない。キリスト教がヨーロッパ世界で支持されたのは、孤独な人間でも、もしくは誰からも愛されないと思いこんでいる人間でも神から愛され、救いの道は残されているという教えによるだろう。生きる意味に関わりを持たない宗教が民族の違いを乗り越え支持されることはない。
 
 戦場や難民キャンプを舞台にした映画が語りかけるのではない、自らと向き合った観客の心に何が残るのか、最後に残ったものが生きる意味なのかと自問させるのである。

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