Dec. 14,2015 Mon    歌舞伎と正月
 
 あれは平成4年12月末であったろうか、南座顔見世終了後、片岡孝夫(現仁左衛門 当時48歳)が京都市内の病院に運ばれたのは。年明けの1月4日、孝夫は寝台付きの車で東京に移送され、精密検査の結果「大葉性肺炎と膿胸」と診断された。
胸、背中などに管を通され肺にたまった大量の膿を抜きとる措置がとられたが、わるいことに食道に亀裂が入っており、そこからもれた食べ物が肺のまわりの管にまぎれこみ、管の外へ出るのだ。
 
 担当医は手術を勧めた。だがその手術は食道を切開して亀裂をふさぐのではない、胸骨をはずして食道の一部を切除し、食道と胃をつなぐ。そのためには喉のあたりにもメスを入れなければならない。喉を切り開くということに孝夫夫人はおそれおののき拒絶反応を示した。
 
 歌舞伎役者にとって声はいのち。声が出なければ役者は終わりなのだ。夫人の考えが優先され夫婦の長いたたかいの幕が上がった。食道の手術をせず、自然の治癒力で食道亀裂の修復をはかるということは、口から直接ものを入れられないということである。
 
 そうなれば点滴にたよらざるをえないが、ありきたりの点滴では栄養不足となり、栄養価の高い点滴を打つということになる。
しかしその種の点滴が患者の体質に合うかどうかが問題で、あいにく孝夫の身体はそうした点滴を拒否した。結局、腸に管をさして直に栄養を入れ、胃にも管を通し、その管から排出するという方法がとられ、そのための手術が施された。
 
 病室では技をみがくことも身体をととのえることもできない、だが心をととのえることはできる。ふたたび板の上に立ちたい。しかし再起できるのだろうか。決して悪い方向を目ざすつもりはなかった。齢50を前にして病魔におかされ、舞台に立てなくなった姿を思い浮かべる自分の弱さにめげず烈々と板の上に立つ日を切望した孝夫の気迫が8ヶ月にわたる戦いをへて病魔を退治したのである。
 
 当代片岡仁左衛門は病魔を払いのけ舞台に復帰したが、復帰できなかった歌舞伎役者もいる。近年では二代目澤村藤十郎(十八世中村勘三郎の義兄)。勘三郎と数多くの歌舞伎狂言で舞台を共にしたけれど、傑作は「文七元結(ぶんしちもっとい)」のお兼。勘三郎の長兵衛を相手に勘三郎のお株を奪う絶妙のコミカル芸を披露し、抱腹絶倒。
 
 澤村藤十郎は美しく、うまい女形として独自の地歩を築いていたが、1998年、脳梗塞で倒れ舞台復帰はかなわなかった。面立ちも美しく舞台でも際立っていたから、お兼のような貧乏長屋のかみさん役で満場の爆笑をとるのは楽ではない。そこのところを見事にこなす芸容は現存の女形に望むべくもない。
 
 「文七元結」で角海老の女将を玉三郎、文七を染五郎、長兵衛の娘お久を松たか子がやった。「伊勢音頭」の万野をやれば憎々しさ満開の玉三郎でも、そしてまた、「鰯売恋引網」の遊女蛍火で笑わせてくれた玉三郎でも、澤村藤十郎(屋号は紀伊國屋)のお兼のようにはできなかったろう。紀伊國屋のくだけた世話芸のよさはいうまでもなく、ツイタテから首を上げ下げするしぐさ、「ねえ、おまえさん」と亭主長兵衛にいうせりふまわしは絶品。
 
 平成9年(1997)7月松竹座昼の部「土蜘」で紀伊國屋は源頼光をやった。女との逢瀬で朝露にぬれた頼光はカゼをひいている。そこへ侍女の胡蝶(時蔵)が薬を届けにくる。侍女より美しく愁いをおびた頼光というのも歌舞伎ならでは。その美貌、水のしたたるがごとし。
 
 先代市川猿之助については2011年9月27日「市川猿之助」に書き記したので繰り返さない。その後わずか2年3ヶ月のあいだに得がたい役者を失った。2012年12月上旬に勘三郎が、2013年2月初旬に団十郎が、2015年2月下旬に三津五郎が判で押したように寒い冬に旅立った。それぞれ57歳、66歳、59歳だった。
死なないときは死なないのに、死ぬときは疾風怒濤のごとく死んでゆく。そういう年月もある、すぐれた役者の共通点は人間の深さであり人間力だ。所作も踊りもせりふも研鑽と鍛錬から生まれる実事なのだ。人間力は実事によってかたちづくられる。それなくして大向こうをうならせる芝居はできない。
 
 うまい役者が出ると正月が来る。清々しいという意味において、華やかであるという意味において、わくわくするという意味において。昔の中座や南座は空調がわるく、照明のあかりにホコリがふわふわ浮いて見えた。清々しさもなにもあったものではない。だが、うまい役者が板の上にいると、いつの間にかひきこまれて空調の件はホコリと共に吹き飛んでしまう。
 
 「仮名手本忠臣蔵」は名作であっても喜劇ではない。なのに役者がそろえば華やかでわくわくする。特に「大序」は清々しく正月が来たかのようだ。前述の「鰯売」にしても勘三郎と玉三郎が舞台に立つと新たな年が明ける。
団十郎の「助六」、三津五郎の「六歌仙」や「流星」なども同じ。正月気分になるための特効薬はいい役者の出る歌舞伎である。清元、長唄、常磐津が役者を生き生きさせ、正月気分を盛りたてる。
 
 昔はよかった、いまの若い者はと團菊じじいは言う。いつの世も同じような爺がいて同じようなことを言う。九代目團十郎、五代目菊五郎の後には六代目菊五郎が出てきた、当代仁左衛門も出た。時空の隙間はあってもいい役者は輩出する。
現代の團菊じじいはしかしこう言うだろう。これはと思う役者がいなくても、客の目、客の感性が役者と同レベルなら問題ない、その時代に見合えば歌舞伎は保たれ、それでよしとするしかないのだと。
 
 巷に正月がなくなってから気の遠くなるような時がたった。そして正月気分にさせてくれる人間も遠ざかっていった。

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