Feb. 03,2006 Fri    庭園班OB(2)
 
 いま書いておかねばと思うことがある。そうしないと、記憶から消えてしまうか、書く意思がなくなるか、どちらが早いか、どちらが早くても、そう遠い日のことではない。
役者になくてはならぬハラ‥行動の精神的指針‥のない者が舞台に上がっても、銀幕やテレビに映っても、みる者の心に響きはしない。日本と韓国の同世代のタレントと称する者たちの画面上における表現力を比較すると、圧倒的に韓国が優勢。
 
 韓国の若手俳優にはハラがあるが、日本の若手俳優のそれは薄いか、まったく無い。極端なことをいえば、季節は冬なのに夏の顔をしている。孤児なのに両親のいる顔をし、思いを寄せる人がいるのにキョロキョロしている。
彼らには行動の指針が欠如している。これでは役者はつとまるまい。それゆえみてもつまらない。つまらないからみない。ことはその繰り返しである。
 
 韓国の俳優との比較においてもそうだが、欧州、とくに英国やフランス、チェコ、ポーランドなどと較べると、その差はさらに歴然となる。にもかかわらず近年、日本映画は年々多作傾向となっている。名作は脚本、演出、音楽、俳優などの条件が整って生まれるのであろうが、まずは役者が揃わねば話にならない。
ふつうはそういう月並なことをいってお茶を濁せばすむだろう。表現力の有無は話に上る、しかし、ハラの有無が話題になることは稀である。それはなぜか。表現は判りやすく、ハラは判りにくい、そして実際にハラのある役者は少ないからだ。
 
 具体的な例というと方々で差し支えがあって気が進まないのだが、渡辺謙と役所広司のどちらにハラを感じるかといえば、役所広司。渡辺謙は気合いを表に出して元気がよいがハラが薄く、役柄を問わず一本調子、近年の米国俳優に多く見られる。伊達政宗をやっても藤原清衡をやっても同じ、鋭い目つきをしてにらむだけでかわりばえしない。かわりばえするのは衣裳だけ。
その点、役所広司は役のハラがあり、当たり前のこととはいえ、織田信長と宮本武蔵をまったく別々に演じる。信長と武蔵では人間もちがえば、背景も細部の状況も異なる。ああいう時代でそういう人間で、状況の変化によってこういう心の変化があり、翳りもあれば屈折もある。そして、状況がどう変化しようとも変わらぬ心と不屈の魂が存在する。それを逐一体得し、表現せねばならないという精神的指針を役所広司は持っている。
 
 歌舞伎の舞台で大道具の季節設定が「秋」とする。背景に秋の七草が描かれているか、もしくは造花で彩られている。とりわけ桔梗と萩、すすきが美しい。しかし、大道具がいかにうまくつくられていても、役者のハラに秋の涼しさと澄んだ空気、深まりゆく秋の気配がなければ秋は来ない。
舞台での経験をもう一つあげると。
相手役が「旦那はん、ええお天気どすなあ」という。芯になる役者が「ほんに、ええ天気やなあ」と応えて空(客席三階)を見上げる。そこにはカラッと晴れた青空が見えるかのようである。
 
 
 何年前になるだろう、私の結婚披露宴のスピーチで開口一番、「Iさんは計画性のない人で」とMK君が切り出したのは。たしかにMK君の言のごとく私は計画性がない。だが、その場に居あわせた人の多くが爆笑したのは、私の計画性のなさに対してというよりMK君の味のある話しぶりと間のよさに対してである。さらにMK君と私は親しい間柄であるということが全員に伝わったからだ。
 
 結婚が決まってから結婚披露宴の日までわずか12日間。出欠の案内も間に合わず、大学時代の友人などには直接、電話か速達で知らせて出欠を訊くしかなかった。その日1981年11月16日は月曜、11月はその日しか空きがなかった。MK君は仕事を休んで出席してくれた。こんな間際になって、どうして、と文句の一つも言いたいところであったと思うが、電話の向こうで一瞬絶句した後、「ホントですか」と言ったきり何も訊かなかった。
 
 同年10月中旬、精密検査の結果、岳父は末期の肝臓癌であることが判明した。年内もつかどうか、よくもってあと三ヶ月といわれた。家内の実家は、岳父には肝硬変と伝えていた。家内と私は紆余曲折をへて、おたがい別々の道を歩みはじめていた。結婚の予定はなかった。ところが家内の実家では、早急に婚儀をおこなうべしとの声が上がったらしい。それが10月下旬。ことはそういう流れになってしまったのである。
家内の姉は、私と中学高校の同級生、私の人とナリをある程度知っている。それはともかく、流れに逆行することなど思いもよらず、また、不満や不足のあるわけでもなく、あれよあれよの流れに乗ってしまった。まるで保津川下り。プロポーズもなし。
 
 あの日、MY君は仕事で神戸行が決まっていた。私は、披露宴終了後の午後8時ごろ、家内の友人やMK君と大阪の料亭「北乃大和」で一席もうけるので、MY君も来れるようならぜひ来てもらいたいと伝えた。
いま思っても不思議な感じがするのだが、北乃大和にやって来たMY君には、その日の最初から私たちと一緒にいるような風情がただよっていた。MK君との再会も久しぶりであったのに、お互い挨拶もなしに数日ぶりに会うかのような風姿。
 
 私が怪訝な顔をしていたのであろう、「どうかしたんですか?」とMY君が訊いた。披露宴にいなかったのにいたような気がする、そう言ったらばMY君は、「あれっ、知らなかったんですか、いましたヨ」と応えた。あのなつかしい、あたたかい笑顔。出席はしていないけれど、出席しているというハラがMY君にあったのだ。そういうハラの持ちよう、置きどころが傑出していたように思う。
お前が行かないなら俺も行かない。それは九分九厘ハッタリなのであるが、その時点で漠然とそう思いつつ乗せられてしまう。MY君の言葉がうれしくて行かずにはおれなくなる。MY君は分厚いハラで相手に接することのできる人間なのだ。
 
 MK君といいMY君といい、ハラのある役者が揃うと響き方がちがうし、後々まで記憶に残る。
 

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