Oct. 18,2015 Sun    余程のこと
 
 50代はまだ若さの片鱗が少なからず残っていて、余程のことがなくても出向いた。クラシックコンサート、歌舞伎、能・狂言ほかの歌舞音楽、ハイキング、OB会などの野外活動。OB会は野外活動ではなく宴席であるというなかれ、野道を歩いたり、お寺を拝観したりという形の同窓会もある。誰が先鞭をつけたか知らないが。
 
 古美研同期・石彫班OBのOKがかつて古美研掲示板に書いていた。50代は「そういう頃合いかもしれません」というようなことを。そのとおりかもしれないと思った。過去の記憶と向き合い、置き去りにした記憶の断片を拾い集めてゆく時期なのかもしれない。
とりとめのないことをあてどもなく語り、理解されてもされなくても気にせず、こころなしか解放されたような気分になり、時々は自分が死んでも相手の記憶にとどまり続けるのだろうかと欲を出し、まあいいか、とどまらなくてもと半ばあきらめ、それでも自然に足が向く。そういう関係でありたい。
 
 死んだ父母は余程のことがなくても生きているかのように心に住み続ける。会わなくなっても残り続けるのは愛したからだ。ことし7月初旬、鳥取の従兄が2005年9月に亡くなっていたことを知って愕然とした。胸に大きな穴が開き、冷たい風がうなり声をあげてびゅんびゅん入ってきた。自分のうかつさに腹が立った。10年も知らなかったとは。従兄に最後に会ったのは2002年だが、還暦を迎える一年前、59歳で鬼籍に入ったのだ。
 
 衝撃は尾をひき、心は乱れた。自分が還暦をやり過ごし、のうのうと生きているからではない、従兄は心の友であり、会わなくなっても会いたいときに会っていると思えるほど懐かしい人だからである。
長く生きすぎたと思う先から懐かしさが募った。従兄の配偶者はロクな人間でないと知っているが、何も連絡してこなかったのは、やはりロクな人間ではなかった。
 
 従兄の死を知り3ヶ月たって、ようやく落ち着きを取りもどした。死は較べようもないことであり、ことばで言い尽くせないほどのことだ。それでも死は着々と忍びよってくる。避けることのできないのは苦難の道と死である。雑事を避けたいと思うのは、雑事は避けることができるからだ。
もともと人づきあいは苦手なのだが、50代後半から人づきあいは面倒と思うようになった。60を過ぎてからは余程のことでもないかぎり人づきあいを避けている。いつだったか、学習院で近世トルコ史を専攻していた三鷹在住の年上女性TMさんに、「私も隠居にあこがれていないわけではありません」、「でも隠居するには早すぎますヨ」といわれた。
 
 思い起こせば1995年1月阪神大震災の直後、気遣って電話してくれた人はTMさんと古美研同期のKMさん(岡本町のKMさんではなく神田の)、札幌のSMさん、HKである。HKは「死亡者欄をみた」と言った。率直なものいいで、ありがたいやらおかしいやら、電話口で笑った記憶がある。逆の立場なら同じことをしていたろう。電話を切り家内と話しているうちに目頭が熱くなった。無事でよかった、久しぶりにHKの声を聞けた。
その10年後、私たちは庭園班OBの面々3人とともに京都で再会したのだった。気遣ってくれた4人のうちHK以外は女性であるのも私らしい。家内と生活を共にして女出入りは絶えた。
 
 そういうこともあって女性といえば大昔の話となる。石神井のMY君なんかは、35年前のことでも昨日のことですと言っていた。色あせない過去もあるのだ。庭園班の元祖癒やし系MY君、そこにいるだけで1年下と2年下の後輩が癒やされる存在である。体調が思わしくないのか、数年連続のOB会欠席は残念でならない。
小さくても率直で懐かしい世界には、おためごかしも虚言も要らない、ほんとうのことを言うとヒンシュクを買うご時世だ、あえて傷つけることは避けるとして、口を濁すくらいなら真意を述べるほうがすっきりしている。心からそう思える年齢になった。
 
 極楽は日が短い。ドブネズミは中国だけでなくどこにでもいる。ふつうの人が偉くなって力を持つと、人間そのものも偉くなった気になって傲慢が顔を出し、政治を持ちこむべきでない場所に政治を持ちこむ。ドブネズミに晩節を汚されないよう残りわずかな歳月を過ごしたい。
 
 60歳を過ぎて特に感じるのは、感性は遠くをみることによって培われるのではないかということである。遠い風景をみて、遠くに去ったことを追体験し、置き去りにしたものに気づくことによって感性はみがかれるような気がする。いまも生かされているのはそのためかもしれない。
過去を語るから自分にかえる。過去を語ることが問題なのではない、人間が過去型で融通がきかず、独善的かつ旧態依然なのが問題なのだ。
 
 陳腐すぎるいいようであるけれど、どうあっても人生は旅だ。道中さまざまな人に出会い、ひとこと話せばドラマは生まれる。無言でうなづくだけでも、あるいは単にすれちがうだけでもドラマはある。
スコットランド・グレンライオンの細い道をレンタカー走行中、赤いウィンドブレーカーを着たマウンテンバイクの男は、すれちがいざまにっこり笑い、うなづいて目で挨拶した。そのときのいいようのないやさしい顔。霧雨のふる秋の午後、寸時に心を刻む何かを残して遠ざかっていった。
 
 私には人との出会いは旅であり、旅は心の風景との出会いであり、思索の森を歩くことでもあった。深閑たる森のなんと豊かなことか。そこには同期のKMさん(岡本町)、SKさんもいて、和服姿でほほえんでいる。ふたりの優美な姿が枯茶の森に浮き上がるかのようだ。
古美研には四谷雙葉(1年先輩 名前は忘れた)や静岡雙葉(同期TH)もいたが、田園調布雙葉出身のKMさんやSKさんのような品はなく、美しくもなかった。
 
 ふたりがたたずむ姿は金沢OB会の前年にみた「ゆめのつづき」の光景に似ている。ゆめのなかで陶然としていたのは私だったか、それとも別の人物だったか、思い出せない。再会すれば忘れられるかもしれないのに、再会できないから忘れられないのだ。旅の終わりは夢の終わりである。余程のことの一つは見果てぬ夢である。そして夢が完結するのもまた夢のなかである。

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