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あれから10年たった。その前の50年も、その後の10年も、どのように生きてきたかあやふやなのに、あのときの記憶は鮮明に残っている。4人は良い人であるかどうかを見分ける能力が高く、情があつかった。一見、そうでないようにみえるKY君にしても、ここというところできめ細かい情を惜しみなく示す。
10年前の秋、彼らとの再会をはたした。けれども、再会によってなにかを理解したわけではない。ただ秋の風になぐさめられるように心はときはなたれ、そして長い旅は終わった。そうなのだ、再会は始まりであり終わりだった。
英国を旅して気づいたことがいくつもあって、そのひとつは、城や修道院(多くは現役でなく遺跡)を見るたびにそこに居住もしくは往来した王、貴族、修道士を身近に感じたことである。英国の古い建物は、修復はあっても多くは建てかわっておらず、往時のままだ。
孤独感をにじませるかのごとく北海沿いに屹立するダノッター城、破壊されたのにいまなお壮麗な面影をとどめているノーフォークのカースル・エイカー修道院跡。焼失、地震などによる建てかえ、もしくは取り壊し後の再建といったことの多い日本では、建造物から人間の体温が伝わってこないような気がする。
さらに日本では建物のまわりに住宅、ビルディングが所狭しと乱立し、歴史が記憶の断片となって心のなかに入りこむのを妨げる。
歴史にはよくわかるものとわからないものとがあり、歴史は暗記するものではなく教訓にすべきものである。20世紀半ばまで戦争に明け暮れたヨーロッパ世界と太平洋戦争の敗戦国日本は、歴史を教訓として同じ間違いをくりかえさないと決意し、国家間のトラブル解決を概ね外交にゆだねている。
歴史自体は自分と関わりないとしても、問題とすべきは、歴史が風のごとく心に入ってくるかこないかだ。目の前に凜然とあらわれた城が往時の面影を保っているかどうか、ロケーションが美しいかどうかは感性と経験に大きな影響力をおよぼし、感動の大小を決定づける。語らいの場にふさわしいのはそういう建造物であり、そういう人間たちである。
良き仲間は、会っているときもそうでないときも感性を刺激し、疑似体験の世界へいざなってくれる。
奥方が「今晩、サバの塩焼きにする?」と言う。よくとおる声で「いいね」とこたえるのがKY君、MK君なら「ええじゃろ」と懐かしみのある松山弁でこたえる。黙ってにっこり笑うのがMY君、HKなら小さな声で「おぉ」と言うだろう。
庭園班OB会は定着した、おおぜいで会うのは10回で十分。会っても2人か3〜5人、それなら語らいに時間をかけられるし、初めて聞く話も飛び交い、総じて会話もはずむ。
元々夫婦で歩いてきた京と大和である、現在もほぼ毎月家内とふたりで京都を歩いている。思えば結婚前から足かけ40年、家内が重度のアトピー性皮膚炎に苦しんでいた1989〜1998年の10年間を除いて、いや、そのときでもごくたまに法隆寺や長谷寺など奈良のお寺を拝観した。これからも身体と足が動くかぎり夫婦の寺めぐりは続くだろう。
7年前のMK君のことばが浮かんでくる。「あんな経験、もう二度とないですよ。」
2005年10月8日、夜の祇園や先斗町で過ごした5名、そして翌日、いまはもうない嵐山の料亭で時間をともにした16名。
京都府木津川市加茂の浄瑠璃寺から岩船寺にぬける石仏の道に「わらいぼとけ」という名の石仏があって、斜めに傾いて座り笑っている。人生の極意さながらに、語らいの座のごとく。わらいぼとけは心のなかに住んでいる。夢は終わっても、夢のなかでいつかまた語らいたい。
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