May 05,2015 Tue    チェスター動物園をつくろう
 
 あれは昭和31年ごろだったか、60年くらい前、昆虫採集に夢中だった子どもの入学祝いに父が「動物図鑑」と「植物図鑑」(保育社)を買ってくれたのは。当時の保育社は大阪市東区(現中央区)にあり、図鑑発行の雄ではなかったろうか。図版は手描きの絵である。その精緻なこと写真の比ではなく、図鑑2冊は小学校時代を通して宝ものだった。そのころ、後年伴侶となる童女の宝ものは絵本「さるかに合戦」。外にいるときも手放さなかったことが当時の写真でわかる。
 
 植物も動物もそれぞれ領分をもっている、人間がそうであるように。そのことがおぼろげながらにもわかったのは、1955年小学1年生のときに出会ったウォルト・ディズニーの「砂漠は生きている」をみてからだ。記録映画「砂漠は生きている」は文部省(当時の名称)がすべての小中学校に鑑賞を義務づけたためほかの省庁から非難されたという。ことの真偽はともかく義務づけたことはよかった。
三島由紀夫はこの映画をみて、「こいつは正真正銘の傑作である。人間というやっかいなシロモノが出てこなければ、傑作は難中の難事でなく生まれる」という意味のことを書き記している(「モンローもいる暗い部屋」所収【アメリカ映画ノオト】)。
三島由紀夫の言は正鵠を射ており、動植物の暮らしをあつかうノンフィクションものにナレーター以外の人間は不要。安手の映画のように動植物を擬人化するのも論外。かれらと私たちは同じ生きものだ、領分は異なるけれど。 
 
 動植物の生態を記録したテレビ番組はおもしろい。飽きない。そのおもしろさは上質の英国ミステリードラマに匹敵するだろう。BBC制作の動植物記録映画はさすがに本家と思わせるに十分だが、日本の「野生の王国」、「生きもの地球紀行」といった動物番組もおもしろかった。
制作意図がはっきりしていて、映像は美しく、登場する生きものすべてに生命の息吹が感じられた。昨今大流行のコンピューター・グラフィックは使用されず(番組によって後半に使用されることはあった)、自然と一体化していた。現在も欠かさずみるのはその種の動植物番組である。
 
 先日、「チェスター動物園をつくろう」(原題 Our Zoo)というテレビドラマをみた。4月29日WOWOWで放送された全6話の録画である。
イングランド中部の城壁都市チェスター郊外に1931年、動物園を開園した家族の物語。英国BBCで2014年9月に放送されたばかり。これがことのほかおもしろかった。動物の擬人化という安手の演出もなく、役者の演技過剰もなく、役者同士のおさまりも良く、動物と人間の領分をごちゃまぜにせず、脚本も秀逸。よきことをしている人の顔はかがやいている。
 
 20代を過ぎたころ、動物は動物園でなくケニアとかタンザニアの自然保護区(野生動物保護区)で見るべきと思うようになった。1987年3月バルセローナに行ったとき、白ゴリラを見たいと思ったけれど行かなかった。1999年6月チェスターに行ったとき、動物園の存在は知っていたが、行く時間はなかった。
なに、ケニアもタンザニアもそのうち行けると安易に考えていたのは間違いである。英国のようにレンタカーで気軽に行けるところではない。いずれ近いうちにと思いつつ35年たった。動物園の動物は宝塚動物園(我が家から徒歩25分)が2003年8月末に閉鎖される間際の7月に行ったきり見ていない。
 
 チェスター動物園の生みの親ジョージ・モッターズヘッドは、1914ー18年のヨーロッパ戦線で弟を亡くし、従軍した自らも身体と心に深い傷を負い立ち直れずにいた。しかし検疫所で見かけたサルとオウムを引き取ったことで人生は一変する。
当初猛反対していた両親、妻、長女の心も微妙に変化する。そのあたりのプロセスも自然でムリはない。銀行の融資もなんとか取り付けた。最大の難関は村民と牧師、市議会議員、そして開園の許認可権を持つイングランド保健省。そこをどう乗り越えてゆくかが見もの。安直なドラマとちがい、みる者を惹きつける。
 
 オウム、ペリカン、ペンギンからサル、ラクダ、ヒマラヤグマにいたるまでユーモラスで生き生きしているのがなによりステキ。お互いを支え合っているというのはヘンかもしれないけれど、互いの領分を守りながら生きている。学校や社会で学んだことの多くを忘れても、動物の生態や名前を忘れないのは、進化の過程で植物や動物と同じ経験をしていることを私たちの遺伝子がおぼえていて、かれらの生態やしぐさに同質のものを見て親近感を抱くからなのかもしれない。

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