Apr. 03,2015 Fri    百年の孤独 千年の都
 
 旅に出て期待どおりの旅ができなくともなげくことはない。よろこびと高揚にみちた旅だけが旅ではあるまい、不足感、自己省察が次の旅を促すこともある。
あれは1999年4月だったか、フランスのエビアンから北フランスのブルターニュ地方をへてスコットランドをめぐる旅の計画を綿密に立て、関西国際空港のラウンジまで行きながら急病のため旅行中止を余儀なくされたことがある。 同年6月巻き返しをはかって英国を旅した。全行程レンタカーを使う3週間の旅だった。そして同年10月ふたたび英国へ行った。6月の英国の旅はそれまでになく充実していた。それが10月の再訪につながり、かなしくなるほど美しいハイランドを旅し、女王との出会いもあった。4月に旅していれば6月と10月の旅もなく、生涯忘れえぬ感動もなかったろう。
 
 なにものにも代えがたいのは、ともに行動したこと、ともに旅したことである。生まれたときから孤独があるのではない、孤独を意識しはじめて孤独は生まれる。一途に追い求め、その後失うか、得られなくなって孤独は生じる。孤独に陥り、避けていた状況に近づくのも心の弱さゆえだろう。
 
 賢者は賢者からも愚者からも学ぶが、愚者は愚者からしか学ぼうとせず、いつまでたっても愚者の座にいすわりつづける。賢者は自らの愚かさを知っている。愚者は自らの愚かさを知らない。
愛した人の死は残された者に追懐の時を与える。しかし自省と自戒の念を置き忘れた愚者は千載一遇の好機を逃す。経験を積んでも経験から学ばないのは自省と自戒の欠如に起因し、同じまちがいを何度もくりかえす。愚者と賢者のちがいはくりかえすか、くりかえさないかだ。
 
 どのように生きても苦難の道を避けることはできない。心が折れそうになるほどの苦難の道を歩んだことはいつか誇りとなり、忍耐の母は苦難であることに気づく日がくる。「忍耐は熟達を生み、熟達は希望を生む」といったのは誰であったか、はるか彼方の希望を共有することは難しくとも、希望の多くが熟達から生じることに疑いの余地はない。
だが希望は古き良き時代のエポックメイキングにすぎないと思うこともある。熟達が希望をもたらさないときも進まねばならないからだ。ある年齢にさしかかればわかるだろう。
 
 英国を旅してわかったのは、名も知らぬ小さな地方都市、カーナビの地図にのっているかどうか疑わしい村、そんな場所だからこそ輝く風景や目のさめるような美女に出会うのだ。風景はその土地特有の輝きにみち、美女は風景をひきたてるとでも言わんばかりに立っている。土地の女か旅行者かはどうでもいい。ヨーロッパの他国から旅するとびきりの美女は、ツアー客の集まるところには来ない。
バーデン・ヴァイラーのようなドイツの保養地は年金生活者のたまり場となって、高齢者しか見当たらない。が、英国なら一つの町や村に一人はいる美形が格好のフットパスを歩いている。その歩き方をみていると、背筋はピンと伸び、からだ全体から歩くことはよろこびなのだという芳香が立ちのぼってくるのを感じる。
 
 30年前から流行に左右されなくなった。いや、そうではないだろう、最初から流行は無視した。「Great Britain」で紹介している地域のコッツウォルズや湖水地方、エディンバラやヨーク以外の小さな町はツアー客にほとんど無縁。コッツウォルズにしても、初めて訪れた1999年初夏当時、コッツウォルズの名を知る人は稀少、テレビや雑誌などのメディアもあまり取り上げていなかった。
 
 ベストセラーということでいうなら、世にこれほどアテにならぬものはない。流行は滅びるためにあり、滅ばない流行があれば教えてもらいたい。滅ばぬベストセラーは聖書とシェイクスピアだけではないだろうか(不滅の書は相当数あってもベストセラーになっていない)。聖書の買手は全世界におよび、毎年膨大な数を記録しているとして、旧約聖書の箴言の一部は普遍性をもっているし、シェイクスピア劇のせりふの一部、ソネットの文言も不滅といえる。
 
 旅は個人旅行にかぎる。ルート、宿、食事、行動、休憩、ルート変更など一切合切が思いのまま、自分の好みによっていかようにも選択し計画を立てることができる。
小生のように朝も夜も弱いタイプは、早朝撮影とかの特別な場合を除いて早朝の出発は論外。午前9時ごろ朝食のテーブルにつき、10時すぎ行動開始、明るいうちに観光をすませ、黄昏どきに撮影スポットで待機。知らない土地での夜間運転はしない。自分のぺースを崩さず、ゆるやかな日程を保ってきたからおおむね快適な旅を続けられた。
 
 近年イングランドへ来る中国人ツアーが増えた。たいていはロンドンとその近郊とか、コッツウォルズやチェスターほかの中部イングランド。北イングランドや南西イングランドまで来るチャイニーズは少なく、ウェールズ、ハイランドへ来るチャイニーズはさらに少ない。わがままでマナーのわるい彼らが横行すると町はスラム化する。
そうなる前に行かねばならない。何事も早いうちである。若くない者がいうとグチになる。そうならなかったのは若いころアジア・ヨーロッパ世界を歩いてきたからだ。
 
 親交のあった相手の肌がつやつや、すべすべだったころ。40年以上前、そんなことは思案の外だったけれど、肉体の衰退した現在それが大きな意味をもつ。老境に入って、互いの肌がピチピチで芳潤な香りを放っていたころの深い交流は珠玉であり、肉体と精神はひとつのもので不即不離と知る。追懐はある日、天からふってくる。何かしたわけではない、時が人生を振り分けるあいま、何もしなくなった時間の隙間に降りきて、記憶の断片を置いていく。
 
 私を孤独から救ってくれたのは旅である。しかし、もうすこし生きたいと思うのは映画とドラマ、とりわけ英国の優れた映画とTVドラマゆえだ。そしてそのほとんどをともにした伴侶である。たとえ百年の孤独があって、胸が張り裂けそうになっても生きてこられたのは、千年の都に住んでいたと思えるからだ。千年の都は特定の町ではない、それは旅であり、ドラマであり、人である。

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