鶏足寺の山号は「己高山」(こだかみやま)といい、かつて寺は背後の己高山(標高923m)山頂付近にあったが、
1933年の焼失後廃れに廃れたところを、十一面観音(木造=重文)を収蔵するための己高閣が建てられた。
本尊の薬師如来(木造=重文)や十二神将も己高閣に収蔵。十一面観音は10世紀、ほかの二仏は平安初期の作という。
己高山の主刹が鶏足寺であり、行基が735年(天平7年)に開き、後に最澄が再興し、その後鎌倉期に真言宗になった
と伝わる。奈良興福寺に関連する史料「興福寺官務牒疏」によれば、己高山の五刹に法華寺、
石道寺、高尾寺、安楽寺、観音寺の名があり、鶏足寺は観音寺の別院であった旨が記されているそうだ。
大門跡はまさにそういう規模の寺院の総門であったのかもしれない。
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