May 21,2016 Sat    そして英国(2)
 
 最初の感動にまさるものはない。二回目は確認の旅だ。だが最初の旅で気づかなかったことに気づくことがある。風景は季節によって、心境によって変化するからだ。
そしてまた、同じ土地を訪れるにしてもルートを変えると前に見なかった風景と出会う。
 
 風景だけではない、人との出会いもある。土地の人間であろうが、旅人であろうが、短いことば、ほほえみのなかに無上の気持ちがこめられ互いの旅情をかきたてる。
そういう気持ちが伝わるかどうか疑わしいと思うなら英国カントリーサイドの小さな町へ行くことだ。排他的な人間が魔法の粉でもふりかけられたかのごとく隣人愛満載人間に変わるのをまのあたりにするだろう。
 
 旅は遠くへ、できるだけ遠くへ行くことである。心が解き放たれるほど遠くへ。深く愛した女性の、あるいは深く愛された男性のいたことが至福であったと追懐できるほど遠くへ。嘆きの風のうめき声を聞かずにすむほど遠くへ。
 
 そこまで遠くへ行けば、心をひきつけてやまない風景があらわれる。旅というドラマの主役は人ではなく風景であるけれど、同時にその風景をみて追懐される思い出の人もまた旅の主役なのだ。
Mさんとの交流、アフガニスタンの旅など若いころの至高の経験と珠玉の旅は老後の隠し財産になればそれでいい。若さが去ったあとの経験は至高といえなくても、いざというときモノをいうのは経験の積み重ねだ。
 
 甘美な生き方を避けたから現在の自分があると考える人のことを小生は承知している。だが甘美を断っても未来が拓けるとはかぎらない。甘美への未練が創作という分野である種の成功をもたらすこともある、息をのむほどすばらしい風景が創作意欲をかきたてるように。
 
 漠然と生きていた子どものころ、と書くと、いまは漠然とは生きていないのかと問われればこたえに窮するけれど、学生時代の漠然とした不安ではなく確かな不安と懇ろになった。
芥川龍之介は「ぼんやりした不安」と言ったらしい。ぼんやりと漠然は似て非なるもので、ぼんやりはきわめて個人的であり、一時のことで、とらえどころはないが、漠然は普遍的かつ象徴的であり、持続性を持つ。ぼんやりした不安の芥川はまもなく命を絶つ。
 
 老病死別は避けられず、老病死はだれもが経験し、若くしておさらばした者のみ別離のつらさを免れる。長々生きていれば、そこにいるはずの人がいないだけで骨が凍る。旅の情熱をかきたてるのは近ごろ、もうすぐ終わりがくるという強迫観念である。
 
 漠然とした生き方にも肯定的な面がある。確たる目的を持つ人は目的と関連性のある事柄は見えているが、目的以外の事象が見えなかったり、見えても素通りしてゆくこともあるけれど、さしたる目的を持たず漠然と生きていると世の中がよく見える。せまじき宮仕えを続けているうちは見えなかったのに、定年退職した途端に今まで見えなかったことが見えてくるのと同じで、やる気満々、遮二無二進むと本人も気づかないうちに視界が狭くなる。
 
 あれは50年、あるいは55年くらい前だったか、鳥取の伯母が自宅裏の久松山(きゅうしょうざん)に登ろうと小生に言ったのは。3歳年上の従兄(伯母の長男)も一緒だった。伯母と従兄は車道ではなく地元の人間が上る曲がりくねった間道をかなりのスピードで上っていった。
久松山(標高263メートル)の中腹より少し上にさしかかったあたりでひょいと森蔭に入り、茂みをさらに進んで木立の前で歩を止めたのも束の間、木の枝先の新芽を手でもぎだした。タラノキであることは従兄が教えてくれた。その日の夕食膳にタラの芽の天ぷらがのっていた。フキノトウの天ぷらよりうまかった。鳥取城二の丸の桜が満開寸前の春である。
 
 桜が咲くとタラの芽を採りに小高い山に登り、途中でひょいと森蔭に入って木を見つけ、タラの芽をもいで天ぷらにして食べる、そういう人間になりたいと思った。伯母のように寡黙であっても、立派な人は自らの美徳を隠しておくのだ。立派とはいえない小生は長じてそういう人間になった。しかしそういう人間以外の者にはなれなかった。
 
 道東の紋別・大山で家内とひと夏滞在していたある日の深夜、私たちの寝泊まりしている離れの玄関戸をトントンとたたく音がした。不審に思い戸を開けると、痩せたキタキツネが悄然と戸の前に座っていた。
伯母夫婦のいる母屋に行ったのだろうが、ぐっすり眠っていたから30メートル先の離れに来たのだ。腹をすかした野生の動物に食べ物をあげる人間でありたいとそのとき思った。(紋別・大山は奈良・若草山と同規模、傾斜は大山のほうが緩やか)
 
 昭和50年、紋別に管理人として派遣された米子の伯母夫婦は1万5千坪の敷地内に祀られた大山稲荷大明神(社は母が建てた)に毎日食べ物を供え、飢えたキタキツネにエサを与えていた。やさしさに満ちた伯母だった。
 
 キタキツネは里の人間に、特に米子の伯母のような人間になつく。キツネの恩返しは民話のなかにだけ存在するのかもしれないけれど、もしかしたらの想像に値する伯母だった。
楽しいひとときを過ごしたあと伯母は言っていた、「極楽は日が短い」と。先代(三代目)市川猿之助を贔屓にしていて、ヤマトタケルほかのスーパー歌舞伎と「義経千本桜」の狐忠信(四段目の「吉野山」と「四の切」)を好んでみにいった。狐や変化ものをやれば先代市川猿之助の右に出る役者は現在もいない。
 
 あれから幾星霜、40代半ば以降は都会の喧噪を避けている。空気と水のおいしくない土地はノーサンキュー。
北ウェールズの水のうまさは何度も述べたので繰りかえさない。兆しはすでに子どものころからあったけれど、里山をこよなく好むようになったのは50代になってからだ。英国の旅がいかに大切かがわかると、伴侶のかけがえのなさを実感した。伴侶が元気だと自分も元気、伴侶に元気がないと自分も悄気る。
 
 美しい花と野生動物が生き生きと棲息し、山河、海、湖を借景とする巨大な池泉回遊式庭園。それが英国カントリーサイドなのだ。そこへ行けば見たいものすべてを見、感じたいことすべてを感じる。腰に持病があっても旅に出たいと思う所以はそこにあってほかにない。英国の旅にまさるものがあるとすれば、おいしい家庭料理、両親、伴侶だけである。
 
                               (未完)

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