風が匂いを運ぶ。異なる匂いに季節を感じました。都会から失われた季節の匂い。
 
4月半ば過ぎ、転居先の自宅バルコニーには風向きが合うと、この時季特有の松の香りがして、
5月末まで続く。川向こうの山からの清々しい香り。夜ふけて深呼吸すると気持ちいい。
 
子どものころ、松の香りが好きだったかどうか思い出せません。伴侶と写真を見て昔話をしている
うちにさまざまな記憶がよみがえります。
 
青もみじ 兵庫県伊丹市 スサノオ神社
青もみじ 兵庫県伊丹市 スサノオ神社
 
昭和27年春、父が建てた家の裏庭に大きな松と小さなもみじが植えてありました。
松の枝はそれほど太くなかったと思うのですが、木のぼりは爽快。
 
松にのぼると祖父に叱られるので、姿の見えないときを見計らってのぼる。
時々見つかり、お灸をすえられた。ほとぼりがさめるとまたのぼる。
 
紅葉を鑑賞するなんて子ども時代はありません。晩秋は、ときおり虚ろになりました。
新緑のほうが好きでした。昆虫も出てくる。青もみじという言葉はなかったと思います。
 
父
 
生まれて何ヶ月?
父がコートを着てマフラーしているので12月だと思います。
ということは誕生後10ヶ月半か11ヶ月。父に似ず母親似です。
 
ボク
ボク
 
上の写真から約一ヶ月半後、満一歳の誕生日。
上の写真と帽子の前後が逆。
 
かなり早く歩けるようになったそうです。
母曰く、「夜泣きはほとんどせず、おしめが取れる
のも、しゃべり出すのも早かった」。
 
その話をしたら伴侶曰く、「そうか、わかった!」。
「いまごろになって泣き言を」。
「どこかで帳尻が合う」。小生の口癖も言って腹の立つ。
 
 
自宅中庭 3歳くらい
自宅中庭 3歳くらい
 
一丁前の顔しているように見えるので、たぶん3歳くらい。
 
 
父のすべり台
父のすべり台
 
すべり台の背後に当時としてはめずらしい建売住宅。その前の空き地(私有地)。
父がすべり台を寄付しました。いちおう記念写真。
 
はしごはひとつ、すべり台はふたつ。天然木。
隣町から知らない顔の子どもたちも集まりました。
 
高いすべり台は勢いがついて恐かった。ブランコも勢いをつけると目が回る。
作り笑いしてるけど、両手を押し当てています。
 
 
琵琶湖
琵琶湖
 
6〜7歳、4〜5歳、2〜3歳。弟は父親似。琵琶湖です。
 
2021年3月21日の「うすくち手帖」昭和の風景(一)に
そのときの模様を記しました。 
 
この写真を見ると、足もとの砂の感触がよみがえります。
 
 
ちゃんばら
ちゃんばら
 
昭和28〜29年ごろ、大阪市阿倍野区、2歳弱の伴侶。
 
幼児期、伴侶は皮膚炎と両親の華々しい喧嘩で、しゃべり始めるのが遅かった。
両親は心配したそうです。
子どもは精神的要因に左右される。ちゃんばらはストレス解消かもしれません。
 
義理の祖父
義理の祖父
 
2歳ごろ。アトピー性皮膚炎でした。口元、指に症状が。
昭和末期〜平成初期、アトピーが再発重症化。約10年、出口の見えないトンネル。
苦しむすがたを思い出すと、わたし泣きそうになります。
 
夫に先立たれ再婚した祖母(父方)の相手は山陰出身で、よく抹茶を点てていた。
 
手内職に笛をつくっていた時期もあり、伴侶が小学生のころ手伝っておりました。
「手、切らんようにな」と注意されながら作っていた。
 
 
泣いたカラス
泣いたカラス
 
伴侶。たぶん2歳半。口の上にアトピーの余韻が。
 
 
箕面の滝
箕面の滝
 
うしろは滝(大阪府箕面市)。右横は姉。
 
初めてこの写真を見たとき、「こんな顔、インドで見かけた」と言ったら、
姉は写真を見直しふくれっ面してた。
 
手に何か握ってる。食べもの以外にありえない。
中高が小生と同級の姉は色が黒い。妹は色白。
 
ファッション
ファッション
 
幼児期の疾病が癒えた3歳。ズボンの上にズボン。
 
 
女性ドライバー
女性ドライバー
 
上の写真とだいたい同時期? もうちょい若いか?
 
男の子みたいな顔。本格的スポーツカー。動いて、曲がって、止まる。
毎朝、父親の顔を見て、「車、こうてーな」と言ったらしい。
 
根負けした父、大枚はたいた。
 
「母親ではなく父親に言ったのは、スポンサーが誰かわかっていた」と言う。
しかし何色かおぼえていない。黄色? 水色? 父親ならおぼえている。
 
 
家の近く
家の近く
 
再登場。ドライバーとおおむね同時期の昭和30年。
この辺で下駄隠しをやった。
 
下駄隠しの前にズックを下駄に履きかえようとして勝手口まで
回るのが面倒で、玄関のでかい下駄を履いていったことも。
下駄でもズックでもかまわないのだけれど、几帳面。
 
子どものころよくしゃべった小生も、50代以降は寡黙に。
 
昭和31年1月1日
昭和31年1月1日
 
写真の裏に昭和31年1月1日とあります。
母、妹5歳、弟3歳です。
 
父は鳥取市出身、母は利尻島の出身。
戦中、母は鳥取市内に住み、戦後、父と
知り合い、その後京阪神に出てきました。
 
 
親戚の人々
親戚の人々
 
 
右下に伴侶。叔母(母方)の結婚式。男の子は従弟。
 
父親似
父親似
 
上の写真と同じ日。
 
 
料亭入口
料亭入口
 
阿倍野区のあと豊中市にちょっとだけ住み、チビはいよいよ心斎橋へお引っ越し。
 
貴金属商の父親が副業に買った料亭。料亭の経営者にあこがれていたそうです。
経営にタッチせず人任せ。一年半で売り払いました。
 
思い出料亭 昭和31年ごろ
思い出料亭 昭和31年ごろ
 
伴侶の父親。こういうことがしたくて料亭を買ったのかもしれません。
 
左手に持っているのは、「かき餅」ではないかと伴侶が。
子どものころ福井の田舎で食べていた「かき餅」は岳父の好物。府立北野高校
そばにあった家でよく焼かされたらしい。岳父本人も時々焼いた。
 
 
料亭座敷
料亭座敷
 
前列右端に父親。その後ろは母親。おチビさん父親似。
節分の厄除け扮装行事「お化け」。従業員中心。家族で化けているのは一人。
 
料亭
料亭
 
後列中央の、黒字に白模様の絣(かすり)の着物は伴侶の母親。
 
座敷に出ない女将がめずらしく出ています。うすくち手帖「昭和の風景(七)」を。
 
 
七夕 伴侶
七夕 伴侶
 
料亭から引き払った年の翌年? お寺の住職が園長の幼稚園でおこなわれた七夕。
近くに住んでいる子にも声をかけました。浴衣を着ているのはおおむね園児。
 
伴侶
伴侶
 
男の子が女の子の着物を着ているように見えて。
やっぱり父親似。当時の弟にも似ている。
 
姉弟
姉弟
 
弟が生まれました。姉たちが楽しそうに遊び、ひとり寂しかったのか、
弟は姉妹がつくった積み木をこわし、嬉しそうに笑う。
 
姉妹は怒った。それからの積み木は弟の昼寝中に。
 
心斎橋を引き払い、父親の母校・大阪府立北野高校の近くに
新築した家へ引っ越して半年後。
 
姉妹弟
姉妹弟
 
引っ越し先(府立北野高校そば)の近くにある公園。伴侶の前歯、抜けている。
姉の髪は「仮名手本忠臣蔵・五段目」の定九郎みたいにボサボサ。
 
カランコエ
カランコエ
 
多年草のカランコエは4年もっています。小生は一日草。日々いやされないと持たない。
 
 
発表会
発表会
 
「お駒恋すがた」.。小学生1年の伴侶です。日舞の師匠が衣装の手直し。
 
小1から踊りを5年習っていました。
昔取った杵柄というのでしょうね、おとなになっても着物はなじんでいます。
 
お駒恋姿
お駒恋姿
 
昭和31年、7歳。
舞台に立つと変わるというけど、変わった!
 
 
近所のお友だち
近所のお友だち
 
右は小学校&中学校の友だち。近所に住んでいました。
友だちが持っているのはフランスキャラメル?
 
 
おみくじ姉妹
おみくじ姉妹
 
「昭和の風景(四)」に掲載した「おみくじ」風景と同じ日の別の一枚です。
のぞきこんでいる。妹小学生2年くらい。
 
わかったような顔して。しかし内容はあまり理解できていない。
 
小学校高学年と低学年
小学校高学年と低学年
 
姉と妹。おつきあいを始めたころ、束の間このような表情を見せることが。
このころと大差なく、びっくり。
 
 
運動会 小学5年生かな
運動会 小学5年生かな
 
小学校低学年のころと違う。なんというか、低学年のほうがおませ顔。
料亭の影響が残っていたのか。
 
長唄 五月雨 小学5〜6年生
長唄 五月雨 小学5〜6年生
 
小学校高学年の伴侶。料亭の「お化け」と化け方が違う。
 
「五月雨」の歌詞をすこしだけ。
 
「唐傘の色に染みてや五月雨の 紺に映えたるカキツバタ 
その紫のたおやめは」。
 
たおやか、女(め=早乙女や大原女)、あやめの掛詞。
 
長唄 惜しむ春 小学6年生〜中学1年生
長唄 惜しむ春 小学6年生〜中学1年生
 
中学校入学で伴侶は踊りをやめたそうです。
直前の引退興行か。昭和40年ごろ。
 
「惜しむ春」の歌詞のさわり。
 
「春やいくとせ 惜しまるる 身にふさわしき 振りの袖 
つつむにあまるいろくさや うつつなき 
桜の色にたわむれて」。
 
 
慶安太平記 岳父
慶安太平記 岳父
 
岳父です。ライオンズクラブのアトラクション。「慶安太平記」の老中松平伊豆守。
かしこまっているのは丸橋忠弥。
花道のある道頓堀・中座や、梅田・毎日ホールで。衣装、メイク、舞台は本格的。
 
父親が初めてやった芝居は「金色夜叉」。貫一かと思っていたら、お宮。
見にいったのは小学生時。ずっこけたそうです。
 
 
南郷力丸 岳父
南郷力丸 岳父
 
「白浪五人男」の南郷力丸。
 
市川左團次ふう。
 
 
晩年の岳父 結婚式で
晩年の岳父 結婚式で
 
鯖江市の貧しい家に生まれた岳父は大阪に出ました。はたらきながら押し入れ
で勉強し、旧制北野中学校(大阪府立北野高校)定時制へ入学。
 
若いころの話術を買われたのか、旧制北野中学&新制北野高校・定時制卒業生
による同窓会「北辰会」二代目会長に推され、10年間(1967〜77)つとめました。
 
権威権力なにするものぞという気概にあふれ、堂々として、時に体を張り、
巧みな話術と人望で心を鷲づかみにしました。
 
私たちの結婚式(1981)の写真は、1年半後60歳で旅立った岳父の告別式にも。
6月半ばでした。通夜は冷え込み、告別式はカンカン照り。思い出します。
 
「お父さんが生きていたら、コロナのご時世を何と言ったかな」と伴侶がつぶやく。
聞きたい。
 
伴侶
伴侶
 
これ、夫のブルゾン。言われて思い出しました。
 
めったにメガネをかけません。中年以降、洋画の字幕をみるときや、
景色をクリアに見たいとき使います。やっぱり似ている。
 
一日草の小生にとって伴侶は、きょうの癒やし草、あしたの気つけ薬です。