2016年10月14日午後3時半〜午後4時半 京都府京田辺市にある酬恩庵一休寺を拝観しました。
一休寺は鎌倉時代の創建時には「妙勝寺」と名乗っていましたが、元弘の戦火後、復興できない状態が続いており、
一休禅師(1394−1481)が1455−1456年にかけて再興し、酬恩庵と命名したそうです。
 
一休禅師は81歳で大徳寺住職となってからも酬恩庵から大徳寺に通い、88歳でこの地において死去しました。
 
世阿弥と一休禅師についての興味深い話があり、後小松天皇の御落胤とされる一休禅師が、佐渡に流されていた
世阿弥の帰京を取りなしたといわれています。
そのきっかけは、世阿弥を配流処分にした足利義教が嘉吉の乱(1441年)で赤松満祐に殺されたことです。
不適切ないいかたかもしれませんが、重い漬物石がなくなったせいで自由になれたのです。
 

酬恩庵一休寺 総門  秋の気配
酬恩庵一休寺 総門  秋の気配


拝観受付への参道
拝観受付への参道

方丈への延段  正面に見える看板を右に曲がると方丈へ
方丈への延段  正面に見える看板を右に曲がると方丈へ

何かを指さして
何かを指さして

カリンの実を指さしていました   カリン酒は風邪に効く
カリンの実を指さしていました   カリン酒は風邪に効く

方丈  重文
方丈  重文

雲の変化をみる
雲の変化をみる


方丈庭園 南庭  完全貸切
方丈庭園 南庭  完全貸切

方丈庭園 南庭
方丈庭園 南庭

方丈庭園 東庭
方丈庭園 東庭

方丈庭園 東庭
方丈庭園 東庭

方丈庭園 東庭   幸いにもほかに人がいない
方丈庭園 東庭   幸いにもほかに人がいない

方丈庭園  北庭
方丈庭園  北庭



一休禅師 木像   重文
一休禅師 木像   重文

方丈庭園 南庭  拝観者は私たち二人のみ
方丈庭園 南庭  拝観者は私たち二人のみ


中門への延段
中門への延段

中門から本堂へ
中門から本堂へ

本堂   重文   酬恩庵のスタッフがいました
本堂   重文   酬恩庵のスタッフがいました

開山堂
開山堂

一休さん  少年像にしては若干老けているような
一休さん  少年像にしては若干老けているような



鐘楼   重文
鐘楼   重文

世阿弥(1363?ー1443?)が一休に参学したという伝承がある 音阿弥は世阿弥の甥 
世阿弥(1363?ー1443?)が一休に参学したという伝承がある 音阿弥は世阿弥の甥