イングランドのダービーシャー州のなかでもベイクウェルの人口は3950人と少ないが、ピーク・ディストリクト(国立公園)の町としては多いほうだ。
町の市場は1254年に設立され交易の中心地だったという。17世紀末に鉱泉がみつかり、19キロ西のバクストンとともに栄えたが、鉱泉は涸れ、
ピーク・ディストリクトの拠点のひとつとして、あるいはマーケットタウンとしてのにぎわいを保っている。
 
ベイクウェルの南4キロ弱にハドンホール、北東4キロ弱にチャッツワース・ハウス。いずれも徒歩圏内にあり観光ポイントとなっている。
ベイクウェル近隣のアシュフォード・イン・ザ・ウォーターの爽快で心躍るパブリック・フットパスはウォーキング愛好者垂涎の的である。
ラトランド・スクエア  ベイクウェル
ラトランド・スクエア  ベイクウェル
 
ベイクウェルのような小さな町でも7〜8月の土日に交通渋滞はある。というのも、北にシェフィールド、
南にマンスフィールド、東にチェスターフィールド、西にバクストンといった町の十字路に位置し、
ベイクウェル近郊のハドンホールやチャッツワース・ハウス目当ての人もいれば、ベイクウェル〜ハザセージ経由で
カースルトンへ向かう車も通るからだ。
 
ラトランド・スクエアからは上記の町に向かう道路が放射状に広がり、ギフトショップで土産物や日用品、
そして、ベイクウェルやピーク・ディストリクト国立公園に関する資料、地図も入手できる。
 
パブ ベイクウェル
パブ ベイクウェル
 
ベイクウェルの町は小規模ながら集客力は高い。
 
 
ブルーマーズ  ベイクウェル
ブルーマーズ  ベイクウェル
 
ベイクウェルの名を知らしめたのは「ベイクウェル・プディング」。プディング(菓子)の元祖だと言い張る老舗が何軒かあり、
そのひとつが「ブルーマーズ」。建物は17世紀のもので、オリジナル・プディングをつくったのは1889年という。
 
眉唾の話ではあるが、19世紀末にはお菓子としてのプディングが売られていたことを思えば、ネス湖の話より信憑性は高い。
でも元祖かどうかはわからない。ベイクウェル界隈に住む主婦が1860年代ためしにつくったデザートがそれだったりする。
 
ブルーマーズ  ベイクウェル・プディング
ブルーマーズ  ベイクウェル・プディング
 
ガラスケース左に4個ほど盛ってあるのが小型のベイクウェル・プディング、タルト菓子の一種である。
右隣に大家族用または大食漢用大型プディングも並んでいる。
 
味は可もなく不可もなく、一度は試しに食べましょうという程度。家庭料理は数人分を丹精込めてつくるからおいしいのだ。
どこで食べても安くておいしいサンドイッチや自家製ジャムとちがって、プディングには当たり外れがあるのかもしれない。
 
 
ハドンホール
ハドンホール
 
ベイクウェルからA6を4キロ弱南に進んだワイ川上流沿いにハドンホールは建っている。
現在の建物は14〜16世紀創建。以前の建物の所有者はウィリアム・ペヴェリル(12世紀)。
 
ハドンホール
ハドンホール
 
入館料は12.5ポンド(2016年7月現在)。時間は5月1日ー9月30日 10:30〜17:00(入館は16:00まで)
10月は土日と月曜、24ー28日の同時間。11月は閉館。12月は1日ー18日の10:30〜16:00(入館は15:00まで)。
 
 
ワイ川   ハドンホール
ワイ川   ハドンホール
 
 
 
ハドンホール
ハドンホール
 
 
 
テラスガーデン  ハドンホール
テラスガーデン  ハドンホール
 
 
 
ハドンホール  タペストリー
ハドンホール  タペストリー
 
英国にミントンという陶磁器メーカーがあり、1793年に銅板転写の彫刻師だったトーマス・ミントンによって創業された。
1840年代、ヴィクトリア女王が贔屓し、1856年に王室御用達となる。
 
1948年、それまでの金色彩色を脱皮し、ハドンホールに架けられていたタペストリーをモチーフにした意匠「ハドンホール」
を商品化、それがヒットし定番となった。その後、1990年代に売り出した「ハドンホール・ブルー」もミントンのヒット商品。
 
最後の晩餐   ハドンホール
最後の晩餐   ハドンホール
 
 
 
チャッツワース・ハウス
チャッツワース・ハウス
 
ベイクウェルから直線距離で3、5キロのチャッツワース・ハウスだが、車1台がやっとこさの小道を通れば4キロ。
4キロなら美しい景色を眺めながら歩くにかぎる。
 
どうしても車でということならベイクウェルのA6、A619が交差するラウンドアバウトのA619を北東に2キロ弱行き、
B6012に入って道なりに楕円を巡るような感じで3キロ進めばチャッスワース・ハウスの掲示板が立っている。
そこから約1キロで到着する。
 
チャッツワース・ハウス西側の大門から入ると、遠くに小さくみえる建物は歩を進めるにつれて大きくなってゆく。
噴水の高さは30メートルに及ぶ。が、かつて噴水の高さはいまの3倍あったという。
 
数キロ離れたピーク・ディストリクトのダークピークからも噴水は見えるらしいが、その時間帯に噴水は放水されて
いなかったのか、それらしきものは見えなかった。
 
 
チャッツワース・ハウス
チャッツワース・ハウス
 
館上部のラテン語文字「CAVENDO TVTVS」を調べた。用心深ければ無事(Safe by being wary)という意だとわかった。
 
チャッツワース・ハウスを大規模改修したのはデヴォンシャー公爵ウィリアム・キャベンディッシュ(1640−1707)。
 
1686−1707にかけて実施された。館の基礎はエリザベス朝前期の彼の曾祖母ハードウィックのベス(1527−1608)が
建てていた。ベスはヘンリー8世(結婚6回)なみに4回結婚し、息子と娘を3人ずつ産んでいる。
 
ハードウィック・ホールに展示された肖像画をみるかぎり意志は強そうだが、冷酷さもにじみ出ている。
 
 
正面より側面から見るとかなり大きな建物だとわかる。チャッツワースの庭園と建物の内部を早足で回っても半日かかる。
 
チャッツワース・ハウスの見学料はハウス&ガーデン込で19.9ポンド。ガーデンのみ12.9ポンド(2016年7月現在)。
端数がスーパーマーケットの値付けみたいでおもしろい。
 
見学時間は夏期(5月下旬〜9月上旬)のガーデン 10:30−18:00。ただし閉門は17:00。ハウスは1時間前に閉門。
オフ期(9月上旬〜11月上旬)11:00ー17:30 閉門は16:30。ハウスは上に同じ。上記以外の時間はHP確認を。
 
チャッツワース・ハウスは英国映画「プライドと偏見」でマシュー・マクファーデン演じるフィッツウィリアム・ダーシーの館として
登場した。ダーシーの描き方は「プライドと偏見=Pride&Prejudice」の原作者ジェーン・オースティンの得意
とする男性、一見気むずかしく誇り高いように思われているが、実は誠実で思いやりのある人物。
 
ジェーン・オースティンは1811年チャッスワース邸を訪ね、『高慢と偏見』(1813)の中で描かれている
「ダーシー家の屋敷ペンバリー(Pemberley)のモデルにした」(「イギリス・ヘリテッジ文化を歩く」)。
 
 
チャッツワース・ハウス
チャッツワース・ハウス
 
チャッツワース・ハウスを最初に訪れた日本人は1872年10月の岩倉使節団。公爵自らが彼らを館に迎え入れたそうだ。
 
来訪者のなかで最も有名かつ招かれざる訪問者はスコットランド女王メアリー・ステュアート(1542−1587)。
メアリー本人が好んで来たのではない、エリザベス1世の命をうけたハードウィックのベスによって幽閉された。
 
メアリーはチャッスワース・ハウスに1570年から1581年のあいだ数回にわたり幽閉されては解放された。
 
メアリーの美貌に魅せられたシュルズベリー伯爵(ベスの4番目の夫)との仲を疑ったベスは伯爵を追い出したという。
 
 
鹿の猟場(Deer Park) チャッツワース・ハウス
鹿の猟場(Deer Park) チャッツワース・ハウス
 
奈良公園のシカとの違いはエサをやろうとしても近づいてこないこと。かといって危機意識が強いというわけではない。
それなりに人慣れしている。それはさておき、デヴォンシャー公爵家の紋章には鹿がデザインされている。
 
 
カスケード  チャッツワース・ハウス
カスケード  チャッツワース・ハウス
 
子どもにまじっておとなも階段ふうのカスケード(「連なった小さな滝」の意)で水遊びしている。
チャッツワースの広さを紹介するには紙面が足りない。
 
 
チャッツワース・ハウス
チャッツワース・ハウス
 
古い彫像と現代建築のコラボレーション。
 
栄光と不滅、そして尊厳を自ら物語るかのような領域に足を踏み入れると、英国はいまも16世紀半ばから19世紀末に至る
輝かしい時代と王侯貴族、大資本家の繁栄を保持しているのではと錯覚してしまう。
 
 
長々つづく坂道をのぼるとこれが姿をあらわす。
 
 
 
地元の人たちが同じ方向めざして歩いている。
 
デイ・オブ・ダンス
デイ・オブ・ダンス
 
6月中旬〜下旬の3日間に催されるベイクウェルの呼び物「デイ・オブ・ダンス」フェスティバルは11:00〜16:30、
リバーサード・ガーデンズ、バス・ガーデンズ、ポートランド・スクエア、ザ・クレセントの4会場で見学できる。
 
ダンスの種類はタンゴ、フラメンコ、サンバ、ベリーダンス、民族舞踊、ミュージカルものなど多岐にわたり、
演し物それぞれの場所、時間は配布プログラムに記してあるから問題はないけれど、会場が4つに分かれ、
時間もダンス別に指定されている関係上、会場をあわただしく移動しなければ、みたいものを見逃すこともある。
 
 
デイ・オブ・ダンス  リバーサイド・ガーデンズ
デイ・オブ・ダンス  リバーサイド・ガーデンズ
 
フラメンコは意外に難しい。左の熟練。右の初々しさ。
 
 
 
デイ・オブ・ダンス  ザ・クレセント
デイ・オブ・ダンス  ザ・クレセント
 
このグループは異国情緒があり、踊りの切れも間もよく、稽古を積み重ねた効果があった。
 
 
デイ・オブ・ダンス  ザ・クレセント
デイ・オブ・ダンス  ザ・クレセント
 
自信にみちた顔、動感にみちた姿態をみればリーダー格がだれか見当つきます。
 
 
エロイカ・ブリタニア  ベイクウェル
エロイカ・ブリタニア  ベイクウェル
 
「エロイカ・ブリタニア」は毎年6月中旬から下旬の3日間に開かれるベークウェルのチャリティ運動で、2014年開始。
参加費用は13歳以上15ポンド、12歳以下は無料。集まったお金は寄付される。
 
ルールはいろいろあるようだが、参加予約は当日までOK。予約のない場合コースでの駐輪は許可されず、
車の駐車も指定された場所のみ駐車可(無料)。ただし有料駐車場に駐める場合はそのかぎりにあらず。
 
駐車場から主会場までは徒歩10〜18分。サイクリングに参加しなくても駐車場の空きはあるので心配無用。
 
なんだかよくわからないけれど、自転車に乗る人たちはすこぶるご機嫌でさっそうと走っていました。
 
エロイカは1997年イタリア・トスカーナ地方ガイオーレ・イン・キャンティで誕生。創始者はジャンカルロ・ブロッジという。
「エロイカ」はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(「エロイカ」)から命名されたのでは?
 
エロイカ運動はその後、英国、米国、スペイン、日本にも広がってゆく。
 
 
モンサル・トレイル
モンサル・トレイル
 
以前、このあたりには鉄道が走っていたが、1968年に区間閉鎖された。
現在はピーク鉄道の一部としてベイクウェルから6キロ南東のロウズリー&マトロック間を保存鉄道が運行。
 
廃線となった後、パブリック・フットパスに模様替えし、ご覧の通りエロイカ・ブリタニアのコースとして利用されたり、
ふだんはウォーキングを楽しむ人たちの憩いの道となっている。
 
 
モンサル・トレイル   ベイクウェル
モンサル・トレイル   ベイクウェル
 
高台から俯瞰するとモンサル高架橋が見える。かつて高架橋には線路が敷かれていた。
 
鉄道路線は改修され、パブリック・フットパスとなっている。高台からアシュフォードまで約5キロ、
ベイクウェルまで4キロ、すばらしいコースである。
 
 
モンサル高架橋
モンサル高架橋
 
ハイキングコースからはずれた小道にもこれはと思う道があり、どこまでつづいているか興味がわく。
 
ピーク・ディストリクトの町や村を訪れるときは日にちに余裕をみてプランを練らねばならない。
 
 
アシュフォード・イン・ザ・ウォーター
アシュフォード・イン・ザ・ウォーター
 
べイクウェルからA6を4キロ弱西に行くとアシュフォード・イン・ザ・ウォーターだ。人口わずか560人の村。全員が顔見知り。
アシュフォードでチャイニーズはみかけない。
 
コッツウォルズのバートン・オン・ザ・ウォーターは、1999年6月訪れたときチャイニーズはいなかった。
2010年以降チャイニーズがコッツウォルズへ押し寄せ、収拾のつかない状態になりつつあるといっても過言ではない。
 
チャイニーズの来ないピーク・ディストリクトの村アシュフォード・イン・ザ・ウォーターの静寂、美観はいまのところ保たれ、
快適。爆買いにしか興味のない彼らはロンドンで沈没するか、メディアが紹介する世界遺産でウロウロするのがふさわしい。
 
 
シープウォッシュ・ブリッジ  アシュフォード・イン・ザ・ウォーター
シープウォッシュ・ブリッジ  アシュフォード・イン・ザ・ウォーター
 
17世紀、この石橋の近くで売買用のヒツジが集められ、川(ワイ川)で洗われたのち選別され買われていったという。
シープウォッシュ・ブリッジの名はそこに由来する。
 
 
ワイ川  ラスキル・デイル 
ワイ川  ラスキル・デイル 
 
アシュフォードからフットパスを約4キロ南下するとワイ川上流に出る。
ワイ川はベイクウェルとアシュフォード間をつなぐ川でもある。
 
 
ミル池
ミル池
 
ここまでくればベイクウェルまで残り1キロ。
 
アシュフォード・イン・ザ・ウォータに関しての詳細は「Ashford」(下のバナー)を。