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ヨークからA64を北東に36キロほど進み、モールトンの3キロ先のラウンドアバウトを左折、ウィトビーめざしてA169を走る。
12キロ北のピカリングを過ぎると、あたりは見たこともない風景に変わる。ノースヨーク・ムーアズである。
それまで直線的だった道がゆるやかに大きく蛇行しはじめ、ムーアのなかを車は行く。北イングランドで最も心に残る風景だ。
何時間たって空を見上げても太陽はいない。大地すれすれに移動するからだ。1999年6月中旬、はじめてここを通ったときの
胸の高まりをいいあらわす言葉はみつからない。
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英国を旅して気づいたことがいくつかある。そのひとつは世界遺産とか観光名所以外に心をゆさぶる場所があるということだ。
A地点からB地点に移動中、列車や車に乗車中、忽然とすがたをあらわす。
世界遺産オタクという言葉があるかどうかさておき、世界遺産ならなんでもみずにはおられない人はいる。
英国なら、いや、英国にかぎらずヨーロッパ諸国では、世界遺産などロクに調べないでやって来る。日本のツアー客から
そこが世界遺産であると教わる外国人もいて、そんなとき日本のツアー客は驚いたような顔をする。
足繁く英国を旅していると、英国人もほかのヨーロッパ諸国の人々も世界遺産にそれほど関心を持っていないことに気づく。
世界遺産の指定にも彼らは無頓着だ。そこにヨーロッパの心の一部をみる。世界遺産より自分遺産なのだ。
世界遺産ともてはやされても、感動をもたらさない、心にも残らない世界遺産はノーサンキューということである。
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空と大地を隔てる場所に何かがある。空と大地だけで十分だと思っていても、空には雲が、大地には生きものがいる。
7月のノースヨーク・ムーアズには、満開にはまだすこし早いヘザーが咲いている。
ヘザーとヒースは似ているようで別のものだ。ヒースの花弁は額片より長く、ヘザーは短い。ヘザーの花弁は額片と
同色で4枚、花弁に重なった額片は花弁のようにもみえる。湿原のヘザー層が堆積し炭化したものがピートで、ハイランドでは
ピートを燃料としていた時代があった。スコッチウィスキーのほのかな甘い香りの元はヘザーである。
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やわらかな光がヘザーを育てる。光が強いとたちまち枯れる。ヘザーの咲く前と色あせた後、ムーアは荒涼たる風景に変わる。
人を癒やすはずのない荒涼が人を癒やすこともあるのだ。
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ノースヨーク・ムーアズは北イングランドの4つの国立公園のひとつで総面積は1433平方キロ。
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行っても行かなくてもどっちでもいい旅。行かねばならない旅。
何百回旅をしても、行かねばならない旅を行かずに終わることは避けたい。
ヘザーのまっただなかを人が歩いている(右側の2人)。
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ハロゲイトの南西、ハワースの北東、その中間地点にイルクリーという町がある。13000人ほどの人口は
ヨークシャーでは中規模、イルクリーを訪れる旅人のめあてはイルクリー・ムーアを歩くこと。
小さな町にもおいしい料理を食べさせるレストランはあり、「ボックスツリー」(Box Tree)はディナー専用。
金土日曜のみランチも出してくれる。
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イルクリーの町の人なら誰でも知っていると宿のスタッフは言う。住民すべてに聞くことはできない。
メニューはコースディナーの場合、前菜またはスープ+メインディッシュ+デザートが45ポンド(2016年7月時点)。
アラカルトはそれなりの値段。
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このあたりの小川はワーフ川の支流。
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ヘザーの群生が丘陵をつくっているかのようだ。
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刻々と移り変わるものがある。そうした状況にあって変化に対応していかなければならないと思うこともあるけれど、
ある年齢に達すると変わることも対応することも不要だと感じる。自分らしさを失わなければそれでいい。
ムーアは特にそうだが、英国のカントリーサイドはほとんど変わらない。変わらないのであれば対応も要らない。
変化に対応する意思とか柔軟さとか御託をならべてみても、変化のない場所なら意味をなさない。
私は変わらない場所へ出かける。ドライブし、カメラを構える。それだけで無窮動は報われ、心は満たされる。
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ヘザーも咲いていない、観光名所でもない、そういうフットパスを歩く。なつかしさでいっぱいになる。
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デイルは谷(または渓谷)の意。昔々のヴァイキング言葉。デイルに対してムーアは荒野の意。
フットパスはいたるところにはりめぐらされ、大地をつなぐ。
ヨークシャーを東西に二分するA1の東側がノースヨーク・ムーアズ、西側がヨークシャー・デイルズ。両者ともに国立公園。
ヨークシャー・デイルズ国立公園の総面積は1769平方キロ、香川県の面積(1862平方キロ)にほぼ匹敵する。
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リブルヘッド高架橋はヨークシャー・デイルズにあり、長さ400メートル、高さ31メートル、アーチ数24。
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