イングランド・北デヴォンのブリストル海峡を西(大西洋)に向かうとランディ島。定期便(船)は4月〜10月の週3回運航。
夏期のみ週4回(火、水、木、土)の運航となるが、北デヴォンの町イルフラクームからは往路1日1本、午前10時発のみ。
(2018年時点)
 
復路は午後4時30分ごろ発。「ごろ」というのは、到着が午後6時半ということで、乗客がおくれて来ると10分程度なら
出発を調整するということです。ランディ島まで12マイル(約20キロ)、約2時間の船旅。
 
日帰り上陸時間は正午から4時半までの4時間半。ランディ島は南北4.8キロ、東西0.8キロの細長い小さな島。
道路も車もなし。移動手段は徒歩。4時間あれば端から端まで歩いても時間は余る。
 
11月〜3月は海洋生物学者と監視員など10数名のほかは鳥さえよりつかない。夏期は海鳥ウォッチング、岩のぼり。
簡素な貸別荘23軒とB&Bが1軒。夏は臨海学校やハイカーが予約済み。キャンプ場(共同シャワー&トイレ設置)あり。
 

島全体が花崗岩の切り立った断崖ですが、船着場のあたりは整備されています。
船賃は往復おとな70ポンド(2018年夏)。
 
オフシーズン(11月〜3月)は週2回(月、金)、正午〜午後2時のあいだヘリコプターが運航。往復125ポンド。
 
 
 
ランディ島はナショナルトラストが所有しています。島にはディーゼルエンジンで稼働する小さな発電所があり、
島内の電気をおおむね供給できるらしい。電源は通常午前0時〜午前6時にオフとなります。
 
 
 
自分の足だけがたより。なに、縦長の小さい島です、南北方向に端から端まで歩いても4キロちょっと。しれています。
 
 
 
 
 
オールドライト
オールドライト
1819年建設のランディ島最古の灯台オールドライト。灯台はこのほかにサウスライト(島の南端)、ノースライト(北端)とがあり、
高さはオールドライト灯台の約29メートルが最も高い。3ヶ所の灯台は自動化。オールドライトは内部見学可。
 
南灯台は16メートル、北灯台は17メートル。共に1897年建造。オールドライト灯台はほかの灯台に較べて高所=海抜143m
にあるので見はらしがきく。新しいライトシステムを導入した南北灯台建設後、オールドライトは引退しました。
 
 
 
オールドライトの掲示板
オールドライトの掲示板
現役引退後は見学用として活躍。「見学者が階段をのぼるさいのリスクは自分で」の掲示。
 
 
 
オールドライトの螺旋階段
オールドライトの螺旋階段
 
 
オールドライトからの眺望
オールドライトからの眺望
下船するのが正午ごろなので、歩きはじめてすこしたつと空腹を感じる。島内にレストランはあるけれど、
ピクニック・ランチという手もあり、乗船前、イルフラクームのコンビニでサンドイッチと飲みものを買い、
見晴らしのよい場所で食すのも一興。
 
 
 
 シャッター・ポイント
シャッター・ポイント
島の南西端のシャッターポイント。
 
 
ナショナルトラストの看板。ランディ島は英国最初の海洋自然保護区(2010)。
 
 
 
グレイト・シャッター・ロック
グレイト・シャッター・ロック
シャッターポイントにあるグレイト・シャッター・ロックまで岩登りにやって来る人たち。
 
 
 
ここまで来て登る人。それを撮る人。
 
 
 
ツノメドリ
ツノメドリ
英語名パフィンのツノメドリ。ランディ島の本命・海鳥撮影ができました。ランディの名はパフィン・アイランドを意味する
北欧の古語に由来するといわれ、鳥のパフィンと関係があるのかもしれません。
 
日本では見かけず、カムチャッカ半島、アリューシャンなどで見られるほか、北方四島でも観察記録があります。
大西洋北部では一般的な体長約40センチの鳥。夏期、くちばしが冴えない薄茶からオレンジ色に変化。
 
ランディ島の周囲ははエサになる魚が豊富。
 
 
 
ツノメドリ
ツノメドリ
オオハシウミガラス
オオハシウミガラス
北大西洋に活動範囲をもつオオハシウミガラス。全長40センチ強、羽を広げれば70センチ弱。
 
19世紀に絶滅したオオウミガラスより大きい。ウミガラスとの違いはくちばしが太いこと。
 
 
 
オオハシウミガラス
オオハシウミガラス
オオハシウミガラスには潜水能力があり。魚類はもちろん、エビカニ、貝類もエサにする。
 
 
 
 
 
海鳥はめずらしくなくても、こんなに小さな子どもはめずらしい。悪童丸出しの右の男児、親はどこにいるのか。
 
 
 
海鳥は不要な行動はしない。人間の子どもは監視がいないと好き勝手に飛びまわる。冒険好き。
迷子になるくらいならまだしも、崖から転落なんてことになれば大ごと。
 
その後も英国に滞在しましたが、ランディ島で女子行方不明とか転落という報道はなかった。
 
 
 
 
セント・ヘレナ教会
セント・ヘレナ教会
セント・ヘレナ教会に常住聖職者はいないし、ボランティアの巡回があるわけでもなく、訪問者に開放されています。
 
「この地は5〜8世紀に埋葬用としてつかわれていたらしいが、見てのとおり茫洋たる風景が広がっており、
歴史を物語るものは一切なし。1244年、教会らしき建物がつくられた。名前はつけられず(一説では聖マリア教会)、
17世紀までに荒廃し、現在の建物は1896年に完成した」(サイモン・デル著「Lundy Island」2013年刊)。
 
「セント・ヘレナの名は20世紀に入り、ここから碑文が発見され、それに聖ヘレナと記してあったという新聞記事に由来」。
(前掲書)
 
 
1999年6月英国を20日間レンタカーで巡り、人間の馥郁たる香り、ほのぼのとした温かさは、人疲れする都会には
見いだしえないと思いました。その思いは同年10月ハイランドを旅してさらに強くなり、20年過ぎたいまも変わりません。
 
ランディ島の前に行ったリンディスファーンも小さな島(東西約5キロ、南北約2.5キロ)です。
さらに小さなランディ島がリンディスファーンに勝るとも劣らないのは、孤高と寂寞が感じられるから。寂寞の清々しさは
透徹した豊かさにほかならず、透徹した清々しさはこころの風景なのです。
 
 
 
 
 
 
 
オールド・ハウス
オールド・ハウス
ポストはここと、もう1ヶ所。以前はここだけ。週に何度か郵便船や郵便ヘリがあるのでしょうか。
 
 
 
 
マリスコ・タバーン
マリスコ・タバーン
ランディ島唯一のパブ兼B&B「マリスコ・タバーン」。タバーン(Tavern)は宿屋とか居酒屋の意。島の食堂です。
 
 
マリスコの名は、ヘンリー1世の死後王位についたイングランド王スティーブン(在位1135−1154)の治下、
ランディ島支配にかかわったかもしれないマリスコ家に由来するとされています。
 
1160年、ヘンリー2世によってランディ島はテンプル騎士団に与えられる。1235年、ヘンリー3世暗殺を策謀
したウィリアム・デ・マリスコがランディ島に逃亡、1242年、ヘンリー3世は兵をランディ島に派遣し、マリスコほか
16名を逮捕したとか。その後約300年にわたってマリスコ家の残党が海賊化し、英国王の統治は及ばなかった。
 
その後の紆余曲折をへて、1834年、9400ギニー(現在の約93万ポンド)で人手にわたったランディ島は
1969年英国の富豪ジャック・ヘイワード(1923−2015)によって15万ポンド(現在の242万ポンド)で購入され、
ヘイワードは即ナショナルトラストに寄贈。
 
(「The Island of Lundy」1994年刊)
 
 
 
ランディ島では携帯電話の電波が届かないと以前きいていたが、いつのまにか使えるように。
 
ここでは、「モバイル器機は使用禁止。見つければ1ポンド徴収」という掲示。
 
 
 
 
消防署
消防署
消防署と緊急車を発見。たまにエンジンをかけてバッテリー充電しているのでしょう。
消火用貯水タンクのついた消防車が1台あると関係者が言っていました。
 
 
 
 
これを見て、なにかの造形物であると思っても、抽象的でよくわからない。
 
 
 
ランディ島の見取図
ランディ島の見取図
上の造形物はランディ島を形どっていたというわけです。
見学すべき場所はおおむね島の南に集中。船の時間があるので最北端の北灯台へは行かず。
 
 
 
臨海学校の生徒
臨海学校の生徒
島内で出会った小学生。本土から泊まりがけで来て、ランディ島の生態系を観察し、レポート提出が宿題らしい。
 
 
 
ランディ島に別れを告げ乗船。
 
 
 
小学生も乗船。にぎやかなことウミガラスのごとし。カモメも寄りつかず。
 
 
 
1時間半後、北デヴォンに近づいてきました。2018年夏が英国最後の旅となります。魅せられて20年、あっというまでした。