Dec. 14,2018 Fri    阿修羅のごとく
 
 「阿修羅。インド民間信仰上の魔族。諸天はつねに善をもって戯楽(けらく)とするが、阿修羅はつねに悪をもって戯楽とする。天に似て天に非ざるゆえに非天の名がある。外には仁義礼智信を掲げるかに見えるが、内には猜疑心が強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口を言いあう。怒りの生命の象徴、争いの絶えない世界とされる。
彫刻では三面六臂を有し、三対の手のうち一対は合掌、他の二対はそれぞれ刀杖(とうじょう)を持った姿であらわされる。興福寺所蔵の乾漆像は天平時代の傑作のひとつ」。
 
 1979年1月、3週連続計3回、NHKで放送された土曜ドラマ「阿修羅のごとく」第一回の冒頭である。こういう文言を掲げるのなら「冒頭」は存在感を発揮する。20世紀末以来、冒頭や冒頭発言がどれほどつまらなくなったか。過去に生き、秀逸なドラマをみたことがあり、比較能力のカケラが残っている人にはわかるだろう。
 
 1976年からの12年間、すぐれた脚本家が活躍した時代、日本のテレビドラマがかがやいていた時期があった。向田邦子、早坂暁(「花へんろ」)、倉本聰(「北の国から」)、山田太一(「男たちの旅路」)である。山田太一以外の脚本家の下敷きは自らの体験。主役は鶴田浩二、田中邦衛。桃井かおりはキャラクターの合う「花へんろ」のみすばらしかった。
 
 向田邦子は1981年、台中市付近を飛行中、墜落事故で亡くなる(51歳)まで数多くの脚本を手がけた。初期はコメディタッチの作品主体で評にかかるものはない、が、中後期はそれまで温存していた力をそそぎ、温故知新ともいうべき名作を書いた。「阿修羅のごとく」、「あ・うん」、「眠る盃」、「麗子の足」、「女正月」、「風立ちぬ」。
 
 「眠る盃」から「風立ちぬ」までは向田邦子原案ということで死後「新春シリーズ」としてドラマ化されている。「阿修羅のごとく」は2018年12月10日〜12月12日に何度目かの再放送があり、1979年に初めてみて、いつだったか再放送もみて、三度目の「阿修羅」だった。古さを感じないばかりか、過去二回みたときに気づかなかった、あるいは忘れていたことを再発見した。演出は和田勉。
 
 四姉妹の長女(亭主と死別)は女房持ちの男と不倫している。両者ともに中年。いい男といい女の密会場所は女の家、温泉。いうまでもなく名優同士、しかも色気がある。それまで男も女も真面目でさわやかな役をやっていたが、このドラマにかぎってそういう役。名優はハラで演じる。ふだんは色気を隠しているから効果的なのだ。
 
 12月12日、ドラマ3本の2本をみた。加藤治子は1979年1月当時56歳。次女をやった女優も、かわいいだけでなくこぼれるような色気があった。八千草薫47歳。加藤治子は色気のみならず、四人姉妹が茶の間で歓談しているとき、差し歯がとれてハンカチで口を覆うシーンのうまさは出色。
三女のいしだあゆみは対照的に色気も男運もなく、焦茶縁メガネをかけていていかにもという感じ。父親は佐分利信。当時69歳で加藤治子とわずか13歳の差しかないのに貫禄も存在感も十分、佐分利信のような俳優、いまはいない。
 
 脇役もよかった。三條美紀は加藤治子より6歳も年下だが劇中では年上。菅原謙次(当時53歳)の妻。夫の不倫を怪しむ妻を見事にやった。
八木昌子も出ている。目立たず影のある役で彼女の右に出る女優はほとんどいない。雰囲気だけをいうと、映画「ゼロの焦点」)に出ていた木村多江に似ているが、陰気で自然な演技は木村多江より上。八木昌子のセリフは「結婚しようと思っています」だけ。日陰の女を演じきった。
 
 若かったころの宇崎竜童も出ており、よく見れば若いころのMK君をほうふつさせる。加藤治子が八千草薫に言うセリフは東京人のセリフである。向田邦子は世田谷生まれ。世田谷区岡本町に生まれたKMさん(登場回数数知れず)のことばと裏腹にチャキチャキの江戸弁。往年の宝怏フ劇のスター・大路三千緒(越路吹雪と同期)が佐分利信の女房役。うまい。
ドラマのセリフがどこか理屈っぽいのは、向田邦子の脚本に依る。KMさんは渋谷駅前発二子玉川行の都バスに乗っていた。八千草薫が乗ろうとし、加藤治子がそれをとめる「代田橋経由阿佐ヶ谷行」の都バスがなつかしい。
 
 いしだあゆみと会ったのは、「芦田伸介芸能生活五十周年」を祝う東京パレスホテルの宴会場。日本俳優連合の理事長(森繁久弥)、副理事長(東千代之介)などが一堂に会する盛大なパーティだった。その会で、いしだあゆみが私に挨拶に来た。関係者かプレスの人間と誤解したのだ。特筆すべきは腰の低さ。
しかしそれ以上に腰が低く、本格的な挨拶を私にしてくれたのはだれあろう東千代之介。映画界きっての真面目さ誠実さは響きわたっていたが、噂以上だった。あまりの丁重さに私はことばを失い、しどろもどろで「よろしくお願いいたします」と言うのが精一杯、汗が噴き出た。
 
 子どものころから東映時代劇の俳優で一番好きだったのは大友柳太郎、二番目が東千代之介。彼は長唄の六世杵屋弥三郎を父に持ち、名人・七世坂東三津五郎に踊りを教わった。
口跡のよさは長唄の稽古の成果であるだろう。歌舞伎評論家・戸板康二は、「早朝、毎日のように西郷隆盛銅像前で大きな声を張りあげている男がいる。東千代之介だった」と記している。暁星学園卒業後、東京音楽学校(東京芸術大学)邦楽科を卒業した学才である。
 
 学歴をひけらかす者が愚者とみなされなかった時代、挨拶や近況報告で知識とキャリアを誇示する者が多かったころ、真逆の姿勢を保持した学卒は、映画界では東千代之介、歌舞伎界では先代市川猿之助。
 
 東千代之介の当たり役は助演では「新撰組」の土方歳三、「赤穂浪士」の浅野内匠頭、「清水次郎長」の大政など。主演は「雪之丞変化」の雪之丞、「鞍馬天狗」の鞍馬天狗、「佐々木小次郎」の佐々木小次郎、「侍ニッポン」の新納鶴千代など多岐にわたる。NHKドラマ「真田太平記」で柳生石舟斎をやった。「侍ニッポン」(1955)は映画より歌のほうが有名となる。
 
  人を斬るのが侍ならば 恋の未練をなぜ斬れぬ のびた月代(さかやき)寂しく撫でて 新納鶴千代にが笑い
 
  昨日勤王 明日は佐幕 その日その日の出来ごころ どうせおいらは裏切り者よ 野暮な大小 落し差し
 
  命取ろうか 女を取ろか 死ぬも生きるも五分と五分 泣いて笑って鯉口切れば 江戸の桜田 雪が降る
 
 新納鶴千代の父は井伊直弼、「桜田門外の変」の暗殺者のひとりが彼である。歌謡曲「侍ニッポン」は陸軍将校として中国大陸へ出兵した父の戦後の十八番。リクエストされるほどうまかった。
 
 最晩年の私の父と実家の玄関先で会った伴侶は16歳だった。伴侶の父はキタ(大阪梅田)とミナミ(難波)で貴金属宝石店を営んでいた。私の父と一度しか会っていないのに後年、榎木孝明がドラマ「真田太平記」に出たとき、「お父さんそっくり」とつぶやいた。若いころの父は東千代之介に似ていた。私は母親似。伴侶が会ったのは父の亡くなる4ヶ月前の7月。その年11月、父の亡くなる数日前、父が死ぬ夢をみたという。
 
 すぐれた主人公・脇役は劇中、苦難と煩悶を忘れようとして乗りこえるのではない、思い出して乗りこえるのだ。かなしさは十人十色、たのしさと背中合わせの思い出がいちばんかなしい。かなしさだけならそんなに嘆くこともあるまいに。
 
 毎年この時期になれば思うのだ、元禄15年12月14日、赤穂浪士討入りがあったことを。日本発のドラマのなかで歌舞伎通し狂言「仮名手本忠臣蔵」は名作中の名作であると思いつづけてきた。ドラマをおもしろくするすべての要素が盛り込まれており、作品自体も練り込まれている。
 
 お家取りつぶしの悲嘆、忠義、家族愛、別れの悲哀、友情、愛嬌、華美、結束力、隠密活動、志を隠す演技、幕府の思惑、国学者や儒学者など外野席の意見。意外性、討入り前後の庶民の反応、敵側の行動、討入り後の経緯。
史実全体を俯瞰し理解することは到底できないとして、これ以上ことばを羅列すると、中高年の集まるOB会二次会で学生然として知識を披露する後輩のごとし。うんざりする。奥ゆかしさも消滅したのか。
 
 さて、「阿修羅のごとく」である。ドラマに欠かせない音楽は「トルコの軍楽」(メフテル)、テーマ画像はいうまでもなく興福寺・阿修羅像。ドラマ1回目大詰に文楽の吉田蓑助がつかう人形(「日高川」の清姫=安珍清姫)が登場するのもみどころのひとつ。乾坤一擲ともいうべきそのシーンは記憶に残る。
「トルコの軍楽」はドラマ放送後、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」でルチアーノ・パヴァロッティが歌った「誰も寝てはならぬ」を演技曲としてトリノ五輪で用いた荒川静香同様、名を知られた。
 
 日本発の秀作ドラマと欧州発の秀作ドラマを較べると、日本の脚本家は日常の哀歓をうまく表現することを至上とし、英仏の脚本家は私たちのあるべき姿を示し、人生のかけがえのなさを表現することを至上とする。表現の仕方は欧州各国それぞれでも、役者のうまさにしびれる。
「忠臣蔵」は英仏の秀作ドラマに一歩もひけをとらない。忠臣蔵のほんとうのよさは若いころにはわからない。だが晩年になってわかるだろう。無念の思いを経験によって知るからである。
 
 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助は十五世片岡仁左衛門がやってこそ欧州、特に英国の評者をうならせるだろう。忠臣蔵という壮大なドラマが真の役者を育てるのだ。至芸はみるべき人がみなければというが、そういう眼を持たない人でも居眠りさえしなければわかる。
 
 日本が得意とするのは名優の時代劇だ。そういうなか現代劇が活況を呈する時代は終わったかにみえ、名優もすがたを消し、怒りと争い、異常気象が常態化している。

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