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町ぜんぶが世界遺産のサフランボル。首都アンカラの北226キロ、黒海の南65キロに位置。
阪急電車「宝恊」川西能勢口と雲雀丘花屋敷のあいだ、山側(北)にのぞむ住宅街の景色に似ています。
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トルコ国旗も写っています。
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サフランボルの名はサフランに由来し、19世紀、香料となるサフランを栽培していたそうです。
サフランは高級スパイス。
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アタテュルク廟はトルコ共和国初代大統領ケマル・アタテュルク(1881−1938)の霊廟です。
中央部に警護の衛兵が横並びに立っているように見えますが。
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等身大の人形。
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ケマル・アタテュルクが使用した品々、蔵書、外国よりの贈答品などを所蔵。
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2023年、世界遺産に登録されたばかり。
13世紀後半〜14世紀にかけて建造されました。
ジャーミイは礼拝所の意です。
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アンカラの南東137キロに位置する塩湖トゥズ湖の面積は約1500平方キロ、琵琶湖の2、5倍。
トゥズはトルコ語で「塩」の意。
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塩湖トゥズ湖にそそぐ川はなく、湖から出る川もない。水の大部分は地下水で、少量の降雨がまじっています。
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トゥズ湖からカッパドキアは東へ約150キロ。
カッパドキアの名は古くから用いられています。紀元前6世紀アケメネス朝ペルシア時代の資料にその名が登場。
紀元前1世紀ごろ、カッパドキア(王国)に町がつくられており、古代ローマ期の地理学者・歴史家ストラボンは、
「カッパドキアでは2つの都市(カエサレアとテュアナ)のみが名を挙げるに値する」と述べています。
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1972年アフガニスタンのヘラートの高台で赤い夕焼け、反対側のミスティブルーとピンクーの空にイスラムの月を見た
と伴侶に話したら、見たいと言っていました。あれから52年たって見ることができた。
カッパドキア岩石遺跡群はギョレメ国立公園とともに世界遺産。
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4世紀初頭、キリスト教の司教の教えに則(のっと)り、岩壁に穴を掘って住み始めた隠者集団がいました。
しかし、岩穴の住人はローマ皇帝がキリスト教徒を迫害した1世紀にはじまり、皇帝がキリスト教を公認
した後も7世紀のイスラム教徒からも逃れ、岩穴の数は増え、さらに地下に町を建設するようになります。
地下都市は無数に存在し、各都市の人口は少なく見積もっても数千、多い場合は約2万人と推定されます。
地下の見学は政府によって限定され、保護保存のため見学できない地下都市が圧倒的に多く、
発見されていない地下都市は発見済み都市の5〜10倍はあるというのが学者専門家の考えです。
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地下都市は6階建ての構造になっているところもあります。B6Fの設計は難しそう。完成させる技術はすごい。
欠かせないのは水。6階建て最下部をさらに80メートル掘って井戸を設けました。
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ギョレメ国立公園が一望できるテラスです。
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ケバブは一般的に子ヒツジの肉。壺焼きケバブは文字通り、素焼きの壷で加熱。
素焼きの器に入れてテーブルへ。
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店主の持つ小さな絨毯、かなり高価。10万円出しても買えません。
画像ではわからない高級感と厚み。
日本人向けにふっかけているのでは?現地人向けの値段は3分の1以下
ではないのか?と疑い深い小生は思ってしまうのです。
旅行参加者のなかに100万円以上する絨毯を買った方もいたそうです。
持ちあわせがなくても品物が届いたら送金すればOKらしい。
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要塞だったという説もあるそうです。
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雪のように見えます。
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カッパドキアのテヴレント渓谷。
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ホテル本館にレストランがあり、一般客室は別館にあります。
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ホテル本館から別館までは迷路のようになっています。
部屋の扉はアーチの木枠一体型。
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トルコの旅テレビ番組などでおなじみの場所。洞窟ホテルと呼ばれる宿は10数カ所以上。
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カッパドキアのホテルで一泊した翌早朝、旅のハイライト・気球飛行。
カッパドキアに2泊。気球飛行は3日、3回チャンスがあり、
1回目のチャンスで好天に恵まれました。
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ツアー料金に気球飛行代も含まれています。全食付きで、オプションはベリーダンスだけ
でしたが、ベリーダンス希望者は4名のみで結局、キャンセルされました。
照明のように見えるのは、気球の内部で炎が燃えているからです。
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気球は15人乗り、飛行時間は約60分。あっというまです。
気球の運行は1991年に始まりました。
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晩秋早朝の空気感。空の色。
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旅行参加者の誰か女性から回ってきた気球の操縦士画像。
旅先で仲良くなった女性同士のラインを通じて伴侶のラインにも回ってきました。
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彼を撮影した女性のお手柄。
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操縦士は後ろを向いている。
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コンヤはカッパドキアの西240キロの地点にあります。博物館ほかを見学し、コンヤからさらに
西へ390キロのパムッカレへ。この日の移動距離は630キロ。バス旅、疲れます。
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パムッカレはコンヤの西390キロに位置。
パムッカレはトルコ語の「綿の城」の意。
全長約2700メートル、高さ160メートルの石灰岩の層と、
斜面を流れるような鉱泉(トラバーチン)により凍った滝に見えます。
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裸足で歩かないとすべります。
すべってころびそうになった方もおいででした。
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エフェソス(トルコ語ではエフェス)はパムッカレの西130キロに位置。
紀元前6000年ごろの新石器時代から文明の栄枯盛衰を見てきた交易の地。
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ボスポラス海峡はアジア側とヨーロッパ側に渉る海峡。鉄道用の海底トンネルが完成したのは2011年2月。
難工事を請け負ったのは大成建設で、日本人とトルコ人の合同チームが編成された。見事なチームだったそうです。
海底トンネルに線路が敷かれ、アジア側とヨーロッパ側を結ぶ鉄道が開通したのは2013年10月。
イスタンブールが150年のあいだ待ちに待った日でした。
トラブルと苦難続きの工事を請け負ったのは大成建設。日本人がイスタンブール市民の尊敬と信頼を
集めているのは、露土戦争でロシアに敗れたオスマントルコの敵討ちを日露戦争で果たしてくれたこと、
第二次大戦で敗戦国になった後の迅速な復興、海底トンネル、約束を守ることです。
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ボスポラス海峡をのぞむ好位置にあるチュラーン宮殿は19世紀建造。
1910年の火災でほぼ全焼。1987年、熊谷組が買取り、
1989年に完成後、1990年からホテルとなりました。
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子どものころ食べたトマトを思い出すおいしさ。
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丸々太ったチキン、ジューシー。
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レッドオニオン、もしくはリンゴにも見えますがザクロです。
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1616年、スルタン・アメフト1世(オスマントルコ14代皇帝)の治世に完成したモスク。別名ブルーモスク。
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ここで3泊しました。
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誕生月の旅行者から是非にと言われ、お邪魔しました。
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2020年まで博物館だったアヤソフィア。
記録によれば、創建は4世紀に遡りますが、5世紀と6世紀、2度の焼失をへて537年に再建。
その後、553年、557年の地震で被害をうけ563年に再建。989年にも地震で一部崩落。
15世紀以降、増築、補修工事がくりかえされ、オスマントルコがトルコ共和国となった翌年(1935)、博物館となり、
2019年エルドアン大統領がアヤソフィアをモスクに戻すと宣言、2020年モスク復帰を遂げました。
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この日のランチはサバサンド。
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15世紀から19世紀、オスマン・トルコのスルタン(皇帝)が住んでいた宮殿。
1970年ごろはトプカピ・サライと呼んでいた。
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1964年制作の映画「トプカピ」に登場する宝剣。
トプカピ宮殿に忍び込んで宝剣を盗む主役を
メリナ・メルクーリ(1920−94)が演じました。
1975年ごろ再上映時に伴侶とみにいきました。
古き良き時代の楽しい映画です。
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スレイマン・モスクとも呼ばれるモスク。
ながい間、スレイマン・モスクと呼んできたので、スレイマニエと発音するのは慣れていません。
スレイマンはオスマン・トルコの10代目スルタン(皇帝)。
スレイマンの名は古代イスラエル王ソロモンに由来し、スレイマンと名のつく男子はトルコや中東に
多く、アフガニスタンの現地ガイドの名もスレイマンでした(1972年アフガンを旅した主人の話)。
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1557年完成。現在のモスクは1956年の再建。
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